希有の歌声

昨晩、『トヨタ・マスター・プレイヤーズ、ウィーン』を聴きにいった。
ウィーンフィル及びウィーン国立歌劇場のメンバーを中心に30名ほどで編成された小さなオーケストラだが、たぶん新進のテノール歌手による生歌が聴けるとあって、楽しみにしていた。



2000席近くの座席は満員、ウィーンフィル精鋭の弦楽器の美しさは、言うに及ばないが、広いホールに響くテノールの素晴らしい声。初めて聴いた生歌に心震えた。

人間ってすごい。このギリシャ人のテノール歌手は、今年は、ニュルンベルグ歌劇場である、ヴェルディ・レクイエムに客演が決まっていると言うから、これから上へと昇ってゆく歌手なんだろう。
いや〜見果てぬ夢だと思うが、一度、本場で聴いてみたいものだ。


素晴らしい歌声に酔いながら、ふと息長帯姫のことを思った。神功皇后と諡されたのは後世のことで、当時はオキナガタラシヒメと呼ばれた。
『たらし』は今も長ったらしいとかみじめったらしいとか使われるが、元々は、『ずんちゃっちゃ〜〜、ずんちゃっちゃ〜〜』という三拍子の嫋嫋とした細く長く続くリズムのことを言うらしい。ヨーロッパのワルツのリズムとは明らかに違い、日本人にはあのワルツのリズムは刻めないと私は常々思っている。日本人がワルツを演奏すると、どうしてもズンチャッチャー、ズンチャッチャーになってしまうのだ。民族固有のリズムというのがあるのだろう。


さて、福岡の各地で熱狂的に迎えられたオキナガタラシヒメ、各地の産土の神に祈りを捧げている。
祈りとは、歌ではなかったか。彼女は、息が信じられないほど長く続く、希有の歌姫ではなかったかと思う。古代のマリア・カラス。人々は、その歌声に神を垣間見、自分ちの産土の神々に美しい歌声を捧げてもらうことを熱望した。なあんてことを妄想してしまった。

だって美しい歌声は、まわりの空気を振動させ、聴衆の心をわしづかみにするんだもの。神々が喜ばないはずはない。なあんてね。