2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧

にゃんの冬支度

マメがいつのまに大きくなった。まるまる肉がついて毛がぴかぴかだ。 まだまだやんちゃで、毎日遊ぶことで頭いっぱいのようだけど。 もう御簾はかたしてもいいかな?日差しが随分と柔らかくなった。 避暑の旅に出ていたモンチーも、夕暮れになると帰ってきて…

古代妄想

今年は、古事記が編纂されて1300年の区切りの年なんだそうだ。書店に行くと、古事記の有名な一節一節が平易な言葉で、美しい日本の風景に織り込まれた写真集がいろいろとでている。 712年天武天皇の命で稗田阿礼が、誦習していた帝紀・旧辞を太安万侶が…

こけけツアー 〜街角編②〜

宝くじを買わねばと密かに決意する地名だ。笠沙半島の大当の集落、おおとうと読む。 傾斜面に家々がへばりつくように密集して建てられている。 石垣の里としてにほんの里百選に選ばれているが、歩いて行くと結構空き家や荒れた畑もあり、高齢化に伴う過疎化…

こけけツアー〜街角編①〜

あと2回くらい鹿児島紀行の写真を。。。。 カツオと焼酎の町、枕崎。絶対カツオ節それもなまぶしを買うと決めていた。 海岸べたの青い屋根の建物から盛んに煙が出ている。あそこがカツオ節工場よねと狙いを定めて、GO! 枕崎港。 枕崎と言えばすぐ浮かぶ…

秋来たりぬ

九千部山からの眺め。 真ん中を流れるのが筑後川。平行して流れる手前の川が宝満川。3本の橋は、それぞれ久留米市へと続く大動脈の橋で、うちは・・・・・一番左端ののぺっとした道路が高速道路だから、あのあたりかな?九千部山は佐賀県鳥栖市の西にそびえ…

こけけツアー 〜神社編〜

日置市吹上町に鎮座する大汝牟遅神社。朝廷に奉仕していた阿多隼人の舎人が故郷に帰る際、大神神社の大汝牟遅命を勧請して創建されたという。 朱塗りの柱に龍の彫り物。 白い狛犬と水色の象。なんか東南アジア風だなあ。 樹齢千年と言われる大楠。 参道をく…

こけけツアー〜焼酎編〜

薩摩と言えば芋焼酎の聖地だ。道路を走っているとこんなんがど〜ん! 至る所に焼酎蔵があって、焼酎好きの血が騒ぐ。ここにどうしても行きたかった。笠沙町の黒瀬杜氏の里。 黒瀬地区はリアス式海岸の山あいにぽつぽつと、まるで山に抱かれるように家々が点…

こけけツアー〜南薩の湯力〜

15,16日連休、テントを車に積んで、朝7時、宿題の南薩摩へ! 湯〜陶ぴあ、こけけ王国?こけけってなんだ??相方と二人、なんだろねとけんけんがくがく。久留米でも「ここ」を「こけ」という。「け」は、「来る」の活用形かな。なので「こけけ」は「こ…

和布刈神社

和布刈(めかり)神社、古くは速戸社。早鞆明神、隼人社と呼ばれていたそうである。和布刈神事で有名で、というかそれくらいの認識しかなかった。 社は、巨大な磐座に繰り込まれるように建てられ、神功皇后征討の折りに建立されたとあるが、もっと昔から古代…

門司港

wakujinさんから、門司港駅が9月下旬から改修工事に入ると聞き、会社帰りに寄ってみた。 大正3年に建てられた築100年の堂々とした木造建築だ。 近くに寄ってみるとあちこちペンキがはげていて痛みが激しい。 6年近くかけて、改修工事をする予定だそう…

人馴れ

去年、この池でバンの親子を見かけたので来てみた。 初めて見たひなバンは、まるで小さな黒いケダマ。真っ黒黒スケに足がはえた感じで、ハスの葉の上をひょいひょい歩いていたのが、もう可愛くて可愛くて。 池の隅々まで探したが、今年は会えず・・・残念。 …

うつろう

今うちの庭は草ぼうぼうだ。特に、このアシナガバチの巣の廻りは、どうにも手がつけられない。 最初は卵大くらいの大きさ、巣にくっついている成虫も2〜3匹だったが、今ではもう小さなかぼちゃ大くらいの大きさになり、数十匹の成虫が巣を覆うようにじっと…

温泉の効能

せっかくカメラが戻ってきたというのに、福岡は雨ばかりだ。 それにここに来て、寝不足でお疲れ気味。原因ははっきりしている。 毎晩毎晩、こげにゃんのうなうな攻撃を受けているせいだ。寝付くときも、やっと寝にはいったときも、夜中も、明け方も、うなう…

カメラ帰還

やっとや〜〜〜っと修理&クリーニングに出していたカメラが戻ってきた。ぴかぴかでちゃんとフラッシュがあがって来てピントもばっちし!!かな。 「よかったね、おかあしゃん。」 「こんなポーズでよかですか?」 子どもの頃、実家にあったカメラは、棚の神様だ…

別府共同湯巡り

人タラシ温泉別府には、町湯というか共同湯があちらこちらに散在する。相方と二人、共同湯巡り、幾つ回れるか!で別府鉄輪へ。 以前は一日2湯が限界だと思っていたが、最近では3,4湯は平気・・・・だんだん温泉馬鹿になりつつある。 行き当たりばったり…

神社の記憶2

筑後平野のど真ん中、北野町にある赤司八幡宮。筑後平野の要害の地として中世には城が築かれたと言う。 この神社をぐるりと取り囲むように遺跡や古墳があちこち散在し、縄文時代から鎌倉時代までの複合遺跡がよこたわる。といっても発掘されたのはほんの田ん…