古代妄想

今年は、古事記が編纂されて1300年の区切りの年なんだそうだ。書店に行くと、古事記の有名な一節一節が平易な言葉で、美しい日本の風景に織り込まれた写真集がいろいろとでている。


712年天武天皇の命で稗田阿礼が、誦習していた帝紀旧辞太安万侶が書き写し、編纂したものとある。(wikipedia)日本史のテストで出たなあ・・・。
ちょうど日本語も確立しつつある時代だが、原文ではまるで訳がわからぬ、見る気もしない難物の読み物だ。


物語風になっているが、矛盾いっぱい、つっこみどころ満載、首をかしげるようなこともいっぱいで、到底フィクションとして信じることはできない。
万世一系」いやいやぶちぶちキレてるし、「単一民族」でもないし、「天孫降臨」宇宙人じゃあるまいし、UFOでもない限り山から降臨できるわけないじゃん。ってずっと思っていた。

が、ただ全部嘘、ノンフィクションというとそうも言えず、成立の過程から鑑みても、たぶん当時の名だたる氏族達の神話をつなぎ合わせ、四苦八苦して最大公約数のものを詰め込んで作った、とはいえると思う。数ある氏族が大切に抱いていたそれぞれの氏族の由来、1つ1つのピースを取捨選択して無理無理、パズルにはめこんだ、そんな感じがする。けれど当時の人達しか知り得ない真実がそこにちゃんと残っているとも思うのだ。



降臨とは何か、当時の人が描く真実のピースを探しての神社巡りでもあったように思う。



さて、鹿児島笠沙にニニギノミコトが降臨したと言われる野間岳がある。天孫降臨の地は、霧島の高千穂、宮崎の高千穂、それから福岡にも伝承がある。部族は地名と神話と神を抱いて列島を移動する、と思う。始まりの地はどこだったのだろう?
ニニギノミコトが降臨したと言われる野間岳。




海から見たらまるで灯台のようにそびえ立つ秀麗な神奈備山だ。ニニギノミコトが笠沙の長屋で阿多の美しい娘、此花咲くや姫を娶って読んだ唄がある。


「ここは韓国(からくにor空国)に向かひ、笠沙の御前(みさき)を真来(まき)通りて、朝日の直刺(たださ)す国、夕日の日照る国なり、故、此の地は甚だ吉。」

故郷礼賛の美しい唄だと思う。ニニギノミコト、漢字変換気が狂いそうになるのだが、古事記での表記は、邇邇芸命、邇はにぎやかと同意語で稲穂が豊かに実るという意味、日本書紀では瓊瓊杵尊、瓊は、赤い玉という意味で長崎の湊の古名が瓊ノ浦、夕焼けが美しく沈む入り江を指すのではなかろうか。



万葉集の一番古い唄、スサノオが詠んだと言われる有名な唄、「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」も出雲地方に古くから伝わる、家を新しく作ったときの祝い歌と言われているが、その唄と並ぶ晴れ晴れしい唄だ。


笠沙に、ニニギノミコト上陸地の碑があるという。&近くの山にはドルメンが残る遺跡もあるというが、遺跡の方は結局道に迷って行けなかった。後日調べると、女、子どもは行ってはいけないという地元の言い伝えがあるという。行けなかった訳だ。
上陸地の方は黒瀬の集落から海岸に降りたところあたりとまで調べて行ったが、ここも雨風ひどく上陸地の碑を見つけることができなかった。



このあたりの海岸を神渡海岸という、黒瀬杜氏のなかに神渡さんという姓があったので、ここで間違いないだろう。目の前に枇榔島。(007のロケ地だって)


ニニギノミコトは海から来た。からくにをさまよい、海を渡ってここに上陸した。
いったいどこから来たのか?琉球からか、あるいは大陸からか?




黒瀬から東に行ったところに、鑑真の上陸地と伝えられる小さな港がある。



鑑真は揚州の出で、遣唐使の船に密航し、6度目の挑戦で日本に上陸できた。当時遣唐使のルートは3つあった。航行の時期やルートは唐側が一方的に決め、荒れる時期に航行することが多かったという。揚子江の河口から椰子の実を流すと、鹿児島に漂着するという話があるから、連綿と繋がる潮の流れがあるのだろう。

山々に抱かれるようにポツポツと散在する湊は、薩摩藩時代密貿易の拠点がおかれ、海の往来は細々と続いた。いや薩摩藩だけでなく、長崎の野母半島の山には抜け荷の獣道があり、外海の目立たぬ湊で同様に密貿易していたようである。おそらく、佐賀も長州も隠れ港をもっていて、交易を続けていたと思うのだがどうだろう。




古来、渡航は命がけだった。が、繰り返し、繰り返し大陸からの人の渡来、あるいは移住は絶えなかった。海人たちはレーダーもない地図もない時代にどうやって航海できたのか?板子一枚底知れぬ海をおそらくは日中は太陽を、夜は満天の星を道案内に海の道を辿ってきたはずだ。たとえば住吉族がその祭神をオリオンの3つ星に擬したように。
あてどない海の上に広がる空と水平線が溶け合う天(あま)の原と海(あま)の原。
浮かぶ星をたよりに方向を定め、死とぎりぎり直面する航行を続け、水平線に灯台のような山々の姿がみえたとき、大きな安堵と飛び上がるような歓喜の想いで、この山々を見つめたはずだ。
「降臨」のイメージは、海人の命の記憶だ。満天の星が輝く天(あま)の光景とどこまでも続く海原(あま)の光景、そして命の道しるべとなる神奈備山。



福岡の湾岸にちらばる海人達の神社には、必ず遙拝所があり、そこから仰ぎ見るのは、こういう航海の目印となる山であり、あるいは道しるべの星が登る場所のように思うのだ。
笠沙の地は大勢を養うには耕作地が狭く、増えた子孫の一部はまた旅だつ。



笠沙の周りには、他の部族の降臨の記憶をもつ山々と石つぶてを投げ合って戦ったという言い伝えがあちこち残る。金峰山VS野間岳、野間岳VS開聞岳・・・。時に戦い、そして交じりながら、新たな約束の地を目指して、地名と神とその神話を抱えて、また旅立ち広がってゆく。
そういうストーリーを描いてみたのだが、これもまた妄想か・・・・。