こけけツアー〜南薩の湯力〜

15,16日連休、テントを車に積んで、朝7時、宿題の南薩摩へ!



湯〜陶ぴあ、こけけ王国?こけけってなんだ??相方と二人、なんだろねとけんけんがくがく。久留米でも「ここ」を「こけ」という。「け」は、「来る」の活用形かな。なので「こけけ」は「ここに来た、来い」→「ここにおいで」。うん、そうだ、ここにおいで〜という意味だ。人タラシ別府温泉、ひなび人吉温泉、そして共同湯天国鹿児島!湯とぴあ王国に来たよぅ〜〜!
鹿児島に入ると、必ずカーラジオを地元の放送局にあわせる。旅のお供に鹿児島弁。流れてくる鹿児島弁は柔らかくて、聞いてるとのんびりほんわかとなる。時間がゆったりと流れ出す。



鹿児島県日置市湯之元温泉、田の湯。



日本朝湯党本部って看板がでてる。日本朝湯党!いろんなとこにあるのかな?湯之元温泉にも西郷どんが来ている。


中は、地域の人達に愛される銭湯という感じ。もちろん源泉掛け流しの温泉銭湯。

人がいたので湯船は撮影できなかったが、お湯はうすいエメラルドグリーン。


硫黄の匂いがぷんとして、湯に浸かると体が溶け出しそうになる。あーっこれだよこれ!極上の温泉は、入った途端に細胞の1つ1つにお湯がしみわたり、体が湯に溶けていきそうな感覚になるのよ。
いやあ朝から極楽、極楽!


ここから一路南に走る。
鹿児島県日置市吹上町湯之浦、みどり荘の湯。八十八湯の1つ。日本秘湯を守る会の提灯がぶら下がっている。


湯船は湖が眺められるようにつくられている。こちらも硫黄泉、けれどお湯の色はコーラを薄くしたような色、モール泉っぽい。


だーれもいなかったので、泳いで、寝そべって、したい放題・・・・・。
二湯続けてはいったので、ほどよく空腹。

片浦港から水揚げされた新鮮なお魚が安くてたべられるということで寄った大浦ドライブインドライブインだが元々鮨屋さんみたいで、そこででたアラの煮付。



骨がちょうど丸ぼうろみたいに柔らかく、目玉の白い玉のみを残して全部食べられる。初めてこんな煮付けを食べた。。どうやったら硬い骨がこんなにくずれもせず柔らかくなるんだろうか?


ここから雨がひどくなり、ときおり激しく降る中笠沙半島をくるっとまわり、野間岳で落ち葉が降り積もる林道に迷い、黒瀬に寄り、薩摩半島南西部の風光明媚なリアス式海岸を眺めながら枕崎をめざす。
一日目のしめ、枕崎なぎさ温泉。



ここはyoshicomさんお奨め、東シナ海に夕陽が沈むのがお湯に浸かりながら見ることのできる絶景のお風呂だったのだが(ちゃんと時間をあわせて行ったのに〜〜)、折からの台風接近で時折強い雨がふり、絶景をみることが叶わなかった(泣)。日頃の行いが悪いのよね、きっと。カツオの町枕崎の海岸線も雨に濡れそぼる。



結局テントを張るのも危ないということで急遽枕崎の海辺のホテルに泊まることにした。ああ、確か去年もそうだったような・・・。予報では、明日夕方には鹿児島県南部は暴風域に入るという予想。遅くとも午後3時までに鹿児島をでないとえらいことになるねと話し合って、打ち寄せる波の音を聞きながらの就寝となった。


2日目、雲がたれこめた開聞岳を見ながら指宿へ向かう。海は白波が立ち、時折強い雨が横殴りにふりつける悪天候
それにもめげず温泉一湯め、鹿児島県指宿市山川、八十八湯、鰻温泉。池田湖のすぐ近くにあるが、水蒸気が爆発してできたカルデラに水が溜まってできた池の一番奥に隠れ里のようにひっそりとたたずむ小さな集落にある温泉だ。



西郷どんも一ヶ月ほど逗留したという。西郷さんも温泉巡り大好きだったんだね。脱衣所には西郷さんの肖像画が飾ってあった。


うっふっふ、ここも誰もおらず独り占め、鹿児島の温泉力はすごい!体も脳も溶け出しそう。




小さな集落のあちらこちらに、スメと呼ばれる蒸気口がたくさんあり、一家にひとつmyスメがあるようで、ここでできた蒸し料理はさぞかし美味しいだろうな。



温泉でも温泉卵をこのスメで作っているとのことだったが、あいにくの雨続きで蒸気の力が弱まってるとのこと。温泉卵はたべれなかった、あああああ残念。とっても残念。


指宿は温泉で有名で、名だたる老舗旅館・こじゃれたホテルが浜に並ぶ。けれど私たちが目指したのは指宿の中心からちょっと離れた、弥次ケ湯温泉。明治25年から庶民に親しまれた共同湯、もちろん八十八湯。

古い木造の建物、けれど掃除が隅々まで行き届いて、気持ちがいい。湯船は熱い元湯と、少し加水した温めの浴槽と、男女2つずつ。



元湯、源泉のお風呂、湯の色は緑色で硫黄の匂いがかすかにする。雨にたたられはしたが、そのせいで人が少なくて、お湯を独り占め!




加水した方のお風呂ー大黒湯。脱衣場と湯船が一体になった、共同湯の形がそのまま。



ここはほんとに素晴らしい温泉施設だと思う。ほんとによく残ってくれてた。ぜひ温泉施設遺産で末代まで残して欲しい。



最後は同じく指宿市の殿様の湯。



島津家の別荘あとを民間人が引き継いで共同湯としている。湯船には島津家の十字紋。



外には、殿様が使っていた湯船がそのまま野ざらしで残っていた。



豪勢な造りだ。これお殿様だけがはいれたのね。湯は同じだから、いにしえの薩摩藩主がはいっていたお湯と同じお湯に入れたわけだ。


とのんびりしているわけにはいかない。風雨が強くなってきた。急いで家に帰らねば。台風対策しなければ。だんだん風雨が強くなり、一刻の猶予もなし、高速が通行止めになるとそれこそアウトなので、急ぎ帰路についた。

南薩摩の温泉=共同湯文化=ずっと残っていて欲しいわあ。