カメラ帰還

やっとや〜〜〜っと修理&クリーニングに出していたカメラが戻ってきた。ぴかぴかでちゃんとフラッシュがあがって来てピントもばっちし!!かな。


「よかったね、おかあしゃん。」





「こんなポーズでよかですか?」




子どもの頃、実家にあったカメラは、棚の神様だった。いつも奥深くしまいこまれていて、年に1回あるかないかの家族旅行のときに引っ張り出されるだけだった。もちろん父のカメラで、勝手に触るのは厳禁。でも親が留守の時よくひっぱりだして触った。黒い重みのある箱。小さなダイヤルやつまみを触るのが面白かった。
思春期になってあちこちうろころするようになったとき、自分の眼がカメラだったらいいのにと思ったことがある。
まばたき1つで、鮮明なこの画を捉えて、記憶として脳の中に残し、いつでもプリントアウトできたらいいなと。


人は記憶でできている。膨大なさまざまな記憶を皮一枚でつつんだような存在なのかもしれず、そういうことができたらタイムマシーン実現可能じゃんと妄想が膨らむ。
けれども片一方、意識的であれ無意識であれ、忘却の彼方に記憶をしまいこむ、あるいは捨てると言うことも、精神健康上大切なので、年を経るとともに忘れっぽくなってたまりにたまった記憶の倉庫を軽くしてしまうことも自然の摂理なのかもしんない。

あれっ何書いてたんだ?
ともあれカメラは私にとってなくてはならないモノと実感した3週間だった。