神社の記憶2

筑後平野のど真ん中、北野町にある赤司八幡宮筑後平野の要害の地として中世には城が築かれたと言う。



この神社をぐるりと取り囲むように遺跡や古墳があちこち散在し、縄文時代から鎌倉時代までの複合遺跡がよこたわる。といっても発掘されたのはほんの田んぼ一枚分で、あとは未発掘の場所が多く残る。八幡宮というのは中世につけられた名前で、地元の人はとよひめさんと呼ぶ。止誉比竎神社、もっと昔は筑紫中津宮



古代史ファンにはたまらない謎をいろいろと秘めた神社だが、その理由は・・おいといて、私がながらく不思議に思っていた謎が1つあった。この竹の棒である。



鎮守の森の木よりも高い竹の木。ここだけでなく、すぐ近くの塚島神社(古墳あと)、筑後川をはさんで北野町飛び地の宮路岳神社にもこの長大な竹の棒があって、何のおまじないだろうと不思議に思っていたのだ。


参拝しようと近づくと、神社の由緒書きがコピーされて自由にどうぞとおいてある。この彫刻の素晴らしさ!屋根の全面に龍、その下にも龍。波をかきわけて龍が泳いでいる。この神社は海人たちの社だ。




電球の上の彫刻の方が素晴らしかったのだが、マイカメラが戻ってきてからまた撮影にこようと決意。



そして狛犬の彫り物。これっどかで見た!そうだ霧島東神社!!



こんなすぐ近くにこんな立派な古い社格を持つ神社があったなんて。いやあ灯台元暗しだった。
境内から鳥居をみる。古代、この先は海だったという。だったらうちなんて昔は海の底か・・・・。




旧正月の14日満月の夜、竿例しという特殊な神事が行われる。月光によって生じる竿の影の長さを測って占象とするのだと。
そうか、あの竿はそのときに使うものだったんだ・・・。

密やかな月の神事。
そしてもう1つ残されていたのが、星の神事。
すぐそばの小学校に残されている益影の井戸。古くは蚊田のぬな井。今はもう枯れて見る影もないが、古代、巫女達が井戸の水に北極星を映し、その水をくんで神に供えた。




古代有明海から筑紫へ抜ける重要な湊、海人が行き交う賑やかさと航海の無事を祈る巫女達。いまはただ稲穂が揺れるばかり。