神社の記憶

稲穂が出てきた。少し黄色くなりつつある葉もある。


8月4日に宮崎に行ったときは川南町あたりの田んぼでは、もう稲刈りをしていた。お盆に徳島に行ったときにも、もう稲刈りしてた。早場米がもう出回りつつある。



カメラがまだ修理からあがってこず、しょうがないので旅行の写真の整理、行った神社の後調べ(祭神とか謂われとか調べることにしている)してたら気になる神社。
阿蘇の南郷谷を越えて高千穂まで、そびえ立つ九州山地の尾根尾根の間をくりくり廻りながら行く道の途中に、日本三大下り宮という大きな看板があった。下り宮・・・・初めて聞いた。普通神社と言えば、周囲よりあがった位置にあることが多い。平坦はあったとしても下るということは、経験上皆無だ。甥っ子が盛んに寄ろうと言ったが、尋常でないものを感じたのと、この山の中、下ったらまた汗ブリブリかいて登らないといけんじゃんという想いもよぎって、寄るのをやめた。


草部吉見神社熊本県HPより)



まるで地の底へと降りる道のようである。ここには、中央からやってきた時の権力者とそれにまつろわぬ者達との凄惨な戦いの記憶が散らばる・・・。この神社は墓所という性格が強いのかもしれない、当然ここをずっと祀り維持してきたのは、まつろわぬ者の子孫だと考えていい。


古代史にはまるきっかけとなったのは、博物館にポンペイ展を見に行ったとき、たまたま九大考古学部の骸骨の展示を見てしまったからである。発掘された頭蓋骨だけを年代順に四方の壁いっぱいに並べた展示。年代が降るにつれて、少しずつ形が変遷している様。日本人というのは膨大な複雑な血の混じりによって、今に至っているという想い、無数の頭蓋骨の先の先に今の自分がここにある、見られているという感覚がわきあがったのが今も忘れられない。




三大下り宮、後2つは、宮崎の鵜戸新宮、群馬の貴前神社。ここにはどんな物語が眠っているのだろう。