原発に思う

昨日夕方スーパーに行ったら薄暗い。節電モードにはいってた。
どこの電気を消してるんだろうと見て回ったら、野菜・肉・魚などの生鮮食品が並んでいる棚の照明灯が消えていた。生鮮食品をよりいきいき見せる目的のために、棚1つ1つに細長い照明灯がついていたんだ。恥ずかしながら、いままでここに照明灯がついているなんて思いもしなかった、というより見ていたんだろうけど意識したことがなかった。


街ではあたりまえのように電車が次から次へと来て、食べ物や日常生活用品がいつでもあって、夜中でも明るくて・・・でもその快適な生活を支えているのは、原発による電力だ。福島の原子力発電の予断を許さない状況に、福岡に避難してくる人もぼつぼつでてきた。社員の方、自衛隊の人など関係者の方が、文字通り必死になって作業を続けておられるのは想像に難くないが、近隣の方の恐怖や不安ははかりしれない。



原発いらないっていうのは簡単だけど、それはこの快適な生活、あるいはその生活を支えるための仕事で生計をたてている多くの人の生活、それはどうなるの?どうするの?ということまで考えていかないと・・・・。そしてリスキーな原発を受け入れざるを得なかった地方の苦渋も・・・・。



昨日被災された避難所に自家発電でやっと電気がついて、女性の方が、今まで真っ暗な中で、悪いことばかり考えていたけれど、電気の明かりを見てたら、がんばらなければと前向きな気持ちがわいてきたという旨のことをおっしゃっていた。



都市に住んでいようと、地方に住んでいようと、必要な電気と安心と安全と・・・それは少しでも平等に行き渡らなければいけないように思う。原発というリスキーな発電の有り様を全体で考える曲がり角に来ている・・・・。