野十郎

久留米が輩出した画家といえば、青木繁坂本繁二郎が有名だが、ここ数年高島野十郎が徐々に人気を博している。

美術といえば、縁遠い世界だった。彫刻刀を持てば自分の手を削り、造形は意味不明と言われ、色彩センスもなければ、娘の夏休みの追い込み絵画の手伝いを頼まれても、あまりの不器用さに『もうさわらんでいい』怒られる始末。



オンチを自覚していたのだが、10数年前に縁あってこの野十郎を紹介され、県立美術館へ見に行ったときには、正直息をのんだ。
迫り来るような絵の迫力に心をわしづかみにされた。魅せられたといってもいい。


このとき観覧者は数えるほど。21日日曜、里帰り展を見にいったときには、最終日でもあったと思うが長蛇の列。この人の絵が認められるのは素直に嬉しい。



情念がうねるような赤いけし。



東大を首席で卒業し前途洋々であったはずの彼は、その後、華やかな画壇にも属さず、妻帯もせず、家族との連絡も絶ち、千葉県柏市の田舎にアトリエ(掘っ立て小屋にしかみえない)にすみ、人生のすべてを対象(ものや自然)を見て写し取ることに没頭する。おいさばらえて動けなくなっても、柱にしがみついて、頑強にホームからの迎えを拒んだという。

野十郎は本名ではない。のたれ死にすることを願い、その通りに生きるためにそう名乗った。



『写実の極地 それはやるせない人間の息づき、それを慈悲といふ』



やるせない人間  それは彼自身のことだったのだろうか。


『花も散り世はこともなくひたすらにただあかあかと陽は照りてあり』



晩年は、身近な人に感謝の意を込めて、蝋燭の絵を贈っていたという。
力のある絵は、こんなにもひとの心をつかんではなさない。