鯉取りまあしゃん

いつかこの人のことが書けるといいなと思っていた。
鯉取りまあしゃん。



久留米に来たばかりの頃、新聞の地方版に『80ウン才のお誕生日おめでとう!』とでかでかと載っているのを見て、何者???と思っていた。田主丸在住の鯉取り名人。生き河童と呼ばれていた。
真冬に皮膚が真っ赤になるまでかんかん焚き火にあたって、筑後川に潜り、でっかい鯉を何匹も抱いて(時には口にもくわえて)捕ってくるという。冷たい川底にいる鯉は、抱かれてその暖かさで暴れることなくじっとしていたという。意外な人がリスペクトしている。孫社長。用意周到に準備して物事に当たるべきと引き合いに出していたという。今も田主丸の210号線沿いに鯉を食べさせる店をお孫さんが経営している。

さて生き河童、というより河童。確か田主丸のどっかの小さなお堂に河童の手のミイラが収められている。岩手の遠野にもやはり同じ物があって、河童を子どもの頃に見たという人もいるのも同じ。TVで見たがどちらもなにか動物の手のように見えたのだが、河童伝説の残る地は、なにかやはり歴史的に共通するものがあるのかなあ。

が、去年久留米大学公開講座で河童の話があるというので、代わりに相方を派遣。資料を貰ってきて読んだがこれはもう面白かった。
古代、いろんな特殊技術を抱えた渡来人が九州にやってきたが、その中に海に潜って丸い石を抱き、湊の護岸工事に従事したというのが河童の祖先となる人達らしい。なんと中国大陸、モンゴルに近いところからやってきたとな。
八代には昔、河童が大挙してやって来たという碑まである。『オ〜レイ、オ〜レイ、ティアライタ。』謎の言葉は、中国語で『俺たちの頭領がやって来た!』何代かに分けて日本の地にやって来たのかな。八代上陸ということは、南方諸島経由で舟でやってきたんだろうか?とすれば、長い旅路の果てに日本にやってきたことになる。謎は、また新たな謎を生む。
河童にきゅうりというのは、窮理・・物理学に精通してたからだという。そういえば河童の妙薬伝説っていうのも、各地に伝承として残るし・・・。なんだか凄い話。河童は異邦人だったので、異端扱いされ、妖怪に仕立て上げられたのかな。

歴博がだした、『河童とはなにか』

昨日買ってきてぼちぼち読んでいるが、福岡の海岸近く、相ノ島には、河童が築いたというその敷跡が残るという。これは見にいかねば!猫島としても有名だし!