祭りの後は

おくんちは三が日行われる。諏訪神社への奉納踊りを皮切りに、いくつかの神社、観光客のための踊り場、そして、庭先周りと言って、お祝儀を頂くために商店街を踊って歩き回る。結構過酷な三日間だ。
昔の長崎の中心地・・観光通りあたりをうろうろしてると、必ずどこかの踊り町の出し物にであえるので、各踊り町のスケジュール表を手に、お目当ての踊り町の出し物の跡をついて回ったりするのが、私のくんちの楽しみ方だ。


コッコデショは7年に一回しかでないので、このときはなにがあっても長崎に行く。そして3が日目の最後、町の公民館に帰還するまでついてまわる。
今年は例年になく人手がものすごく、コッコデショの周りは命の危険を感じるほど、人でいっぱいだった。



3が日の最後、9時には町に戻り、終了する予定が大幅に遅れ、夜11時半。それでも何百人の人が、コッコデショの最後の演技を見守る。
疲労困憊だろうに、やり通したという想いから晴れ晴れとした担ぎ手の男達の顔。観客一体となって一緒にかけ声を唱和する。その素晴らしい場面に出会えた。


素人カメラマンなのでときどき画面がぶれるが、ぜひ音量を大きくして見ていただけたら。




食べて、働いて、子供を産んで・・・それだけではひとは何かがあまってしまうのだという。
祭りのなかで、神という概念を仲立ちにして、演じるものと見るものが一体になって、確かに何かを燃焼させているように思うのだがどうだろう。


くんちが終わると、秋がいっそう深まっていくように毎年思う。