日が沈む風景

どうやって人間は、言葉を獲得したのか。言葉の起源について、今考えられているのが、身振りから生まれた『身振り起源説』と歌から生まれたと考える『歌起源説』とこの二説が主流なのだそう。


身振り起源説は、身振りに伴って意思疎通をはかることによって言葉が発生・発達したと考える。手話やってるときの使われている脳の場所と言語中枢を司る場所が一緒の場所だからと言うのが裏付けの1つだ。


もう一つの考え方、『歌起源説』の学者は、鳥の求愛の歌が、同じ音の塊をいくつかのフレーズに組み合わせて歌われていることから、人間はこの複雑なフレーズが組み合わさった歌を文章と解釈し、その文章を切り分けていったことで単語が生まれたのではないかと考えた。実際赤ちゃんが言葉を覚えていく過程で、単語だけでなく、文節・文章の形で習得する能力が高く、また早期に獲得していっているというのが裏付けとなるらしい。


難しいことはわからないが、私なんぞはどっちもだろうなあなんて思ってしまう。けれど、人が、歌・メロディに感情をのせ自分の心の有り様を発露してきたと考えるのはごく自然なことだと思う。人間は歌う生物なのだ。


大村湾に沈む夕日。仕事が早く終わったのでどうにか間に合った。




夕日を見てると(朝日もそうだが)言葉が出てこない。



頭に浮かぶのはやはり歌、旋律だ。このとき思わず口ずさんだのは、ベートーベンのバイオリン協奏曲ニ長調第二楽章。穏やかな夕刻のひととき。今日の仕事を終え、家路へと向かう車の列。早く暖かな場所へ行けるといい。





沈みきるまでカメラ抱えて立っていたら、冷たい風に芯から冷え冷え〜。武雄温泉元湯に走り、湯船で『いっい湯っだな〜』なんて歌ってあったまって帰路についた。温泉はぜったいはずせないな。