春遠し筑後川

うちから土手に上がり、5分ほど歩くと史跡がある。



日本3大合戦の1つ、南北朝時代筑後川の戦いがあったところで、南朝側が川を渡り、今住んでるところあたりで陣を張った。ここより北、小郡市の大保原、大原あたりで足利尊氏率いる北朝側と激突し、尊氏はやぶれ4800人近くが討ち死にしたという。大保には自衛隊の基地があるが、でるともっぱらの噂だ。



お寺のにゃんこ和尚が少年だったときには、土手などなく、半分くらいまで浅瀬で徒歩で行けたという。『白い砂浜でね、魚があがってくるときには、竹の棒を持って、よく取りにいってたよ。』ほんの50年くらい前のことである。高度経済成長の旗印で、川の形も違ってしまった。



ただ今も昔も交通の大動脈だった場所には違いなく、この史跡のすぐ横に高速の橋がかかり、ひっきりなしに車が通る。



上流を見ると、合川大橋、さらに上流に神代(くましろ)橋、耳納連山は雪雲でかすんで見えない。



つくしでてるかなーとでてきたが、土手の上は風が冷たくて、冬枯れの野原に木枯らしが吹き付ける。さ、さ、さむぅ。手がかじかんで鼻水がたらーり。
おっこれは、巨大からすうり。これは食べられない。




菜の花もみっけ。ちょぼちょぼと咲いている株がありはするが、まだまだ寒さで縮こまってる。



日も沈みかけ、寒くて鼻水がとめどもなく流れてきたので、つくしはあきらめて家路にむかった。


ちぇー、今晩の酒のおかずにしようと思ってたのに、手ぶらだ〜と家についたら、サスケにそっっくりの緑色の鈴をつけた猫と2階からどどどどとあわてふためき逃げるテラオと正面遭遇。テラオ〜!おまえずーずーしいぞぅ!!!