サボリーノ

月曜・火曜と緊張仕事が続き、水曜に心が萎え萎えになる出来事でとどめをさされた。
どんよりした気分とは裏腹に今日は良い天気。3時までは我慢したが、誰もいないことだし、暇だし、ええ〜いと会社を飛び出した。

向かったのは、佐賀背振。吉野ヶ里公園の駐車場で開催されているみどりの市へ。若い梅の木や桜の木の苗や、色とりどりの花苗を見て回る。ここから山の方にのぼり、吉野ヶ里道の駅に向かう。


佐賀平野が一望できる。霞がかかってるなあ。



道の駅で佐賀特産のレンコンを買って、さあてこれからどこ行こう。吉野ヶ里地区の案内板を見ながら、佐賀平野を突っ切って、筑後川河口にかかる昇開橋を見に行くことに決めた。



山を下り、まず向かったのが田手宿。長崎街道の面影を残すひなびた道だ。



この建物の奥に、しょうゆ屋さんがあり、ここまで買いに来ている。長崎へと向かう仕事の途中にあたふた寄るので、今日はゆっくり見て回れる。
長崎街道は長崎から小倉まで、別名シュガーロードとも呼ばれ、オランダからの文化・学問が伝播する道と同時に、長崎出島に入荷した砂糖を京や江戸に運んでいた街道でもある。当時、砂糖は銀と同価の貴重なものだった。街道を警護する佐賀鍋島藩は、比較的砂糖を入手しやすかったらしく、カステラ、一口香丸ぼうろ、羊羹など佐賀の菓子文化に繋がった。グリコや森永の創業者も確か佐賀出身だと思う。


田手川。往事は飛び石で渡っていたという。


天智天皇新羅征討の際、立ち寄ったときに願い出て創建した田手神社。この神社から西側の山にいたる丘陵地帯に吉野ヶ里遺跡が広がる。


変わっているのが神紋。(上の写真の両開きの扉にも施されている。)どうみたって何かの葉っぱ?蓼の葉っぱかなにかだろうか?他に類をみないでないかい?珍しい〜〜。




ここから360度田んぼの中のまっすぐな道を筑後川に向かう。付近には、「島」がつく地名が多い。
大川昇開橋。日本に残る最古の昇開橋だ。佐賀と大川市を結ぶ国鉄が走っていたが、1987年に廃線となり、今は遊歩道になっている。



中央の架線を垂直にあげさげして大型船を通していたらしい。


徐福の上陸地とされる湊も近くにあり、古来より中国からの人が行き来する玄関口だったのだろう。
ここから柳川市の沖端漁港に行こうと思ったが、道にまよう。ど平野で建物があると周りの山が見えず、暗くなると方向すらわからなくなる。


この道は〜どこに行く道〜。さあ〜わからん〜、いつかどこか〜につきはするだろう〜♫
お気楽替え歌を歌いながら、家路につくことにした。
「がんばらない私が好きよ〜」とサボリーノ、へこんだ心は復活ね!。