姶良の古道

姶良市は、市となって歴史が浅い。2010年に蒲生町姶良町加治木町が合併して姶良市となった。市の名前は、姶良カルデラという桜島から鹿児島湾北部をまるっと囲んだ世界的に有名な巨大カルデラの名を採用した。



一方を鹿児島湾に臨み、3方を急峻な山に囲まれた要害の地で、戦国時代には多くの山城が築かれ、島津氏が覇権を握るまで数多くの戦が繰り広げられたところだ。
関ヶ原の戦いで、島津の退き口と呼ばれた奇跡の退却戦を行った島津義弘が境を固めつつ晩年を過ごした土地であり、ムネリンの出身地でもある。


市の北部に龍門司坂という、昔の古道が残っている。苔むした石畳の街道跡だ。


徳川家光による武家諸法度が作られ、参勤交代をしなければならなくなった薩摩藩が、100年の歳月をかけて整備した街道で(大口筋)、坂全体1500mのうち400mほどが保存されて残っている。



歴代の藩主が参勤交代で、荷駄や多くのお供とともにこの道を通って江戸へと向かい、様々な物資と人が行き交い、そして幕末、坂本龍馬おりょうを伴い鹿児島に入ったときもこの道を通ってきた。
明治10年、雪の降る中、西郷隆盛と志士たちが暗い情念を胸に熊本城攻撃へと死出の旅に歩を刻んだ道でもある。



落ちた椿の花に、薩摩の志士たちの紅蓮の想いが籠もっているようだ。



姶良市の南部には、もう1つ鹿児島市牟礼ケ岡までの白銀坂という同じく石畳の道が残っている。



今は山の中に高速が走り、海沿いの急峻な断崖の下を国道10号線と日豊本線が鹿児島へと走るが、古来この峠は難所だった。時の幕府が薩摩藩に隠密を潜入しようと試みたが果たせなかったのも、この地形ならばさもありなんと思われる。



白銀坂のすぐそばにある白金酒造。創業140年あまりの老舗の蔵で、白金乃露は西郷隆盛が愛飲した焼酎だったらしい。で、どうしても寄りたかった。



ここの蔵の「石蔵」という焼酎を頂いたことがあるが、すっきりとしていて美味しかった。この焼酎甕は今は使われていないのだろうか?あああ1個欲しい・・・



重富の海岸から臨む桜島。異国の地から龍門司坂を抜け加治木に入ると、故郷のこの山と海が広がったはず。往時の薩摩人の胸中はどんなものだったろう。



何度か近くまで来るも行くことを果たせなかった姶良市。やっとこれた。歴史ある街へは何度でも訪れたい。