七夕神社

土曜は七夕だったが、曇りときどき雨。当然夜空は雲だらけ。
福岡の小郡、久留米あたりでは、七夕は旧暦の8月7,8日に行う。それも七夕祝いというのがあって、小学校に入学した子供のいる家では、初七夕と称して、近親者からスイカが送られ、送られたスイカやまんじゅうは近隣に配って回るそうだ。床の間に掛け軸を飾り、そのまえにスイカ、野菜、果物、饅頭と一緒に飾るという。


小郡姫社神社。



この社には4つの名前がある。姫社(ヒメコソ)神社の他に、七夕神社、磐船神社、棚機(たなばた)神社。



魏志倭人伝によれば、邪馬台国には絹があった。奈良になくて九州に在るもの・・・このあたりの遺跡から日本製と思われる絹が出土している。
大陸から海を渡って、伝えられた織物業は、古代北部九州の地にまず根付いたらしい。この地には縄文時代から弥生時代にかけての住遺跡があり、付近にも重要な神社、大規模な古墳が連なる。




きっと古代史上、大きなクニがあり、重要な歴史上の位置をしめ、いろいろと謂われがあるのだろうけれど、神社はただ風に吹かれているだけだ。




最も早く七夕行事が伝えられたとして、小郡は七夕の里と称されている。8月7日には全国から使用済みの短冊が送られてきて焚きあげ行事、また早朝から夕方まで獅子舞をしながら近所を一戸一戸練り歩き、お汐井の水をまくという。終戦までは、ここへ通じる道路はすべて参拝者が列をなすくらいの賑わいを見せていた。




5月連休、愛知武豊町で70代くらいの男性から声をかけられた。福岡久留米から来たというと、驚いた顔で、自分は福岡山田町の出身という。
小学6年生の頃、久留米の石橋文化センターロダンの彫刻や洋画展があるときき、学校をさぼって数名で山越えして久留米まで歩いて見に行った。筑後川がみえたとき、付近の家々から機織りの音があちらこちらからしたという。肝心の洋画展は、夕方ぎりぎりについて急いで見て回ったせいか、ほとんど記憶に残っていないのに、あの機織りの音が今も鮮明に残っていると懐かしそうに話してくれた。


今ではもう機織りの音が聞こえるなんて、どこを探してもないが、いにしえの昔から伝わるという七夕行事、一見の価値があるかもしれない。