遠い故郷

徳島県海部郡美波町由岐 両親の郷だ。2006年に日和佐町と合併して美波町となったが、なじみがまだ薄い。やっぱり由岐町と言ってしまう。
由岐町は6つの集落からなった。太平洋に面した長い海岸線に、木岐、田井、由岐、阿部、伊座利、志和岐の6つの集落が点々と散らばる。前は太平洋の荒波、後ろには深い山々が迫り、隣の集落にはやはり山を越えないといけないという、陸の孤島




海は青々として玄界灘とはまた違う色。この海の向こうは茫洋とした太平洋だ。



18才の夏休み、夏の間田井ノ浜で海の家をやりくりしていた、父のすぐ上の姉の叔母のところへ、手伝いにいったことがある。
長崎からここへ行くのは遠かった。長崎から岡山まで、ここで乗り換えて玉野市の宇野、宇野から宇高連絡船に乗って、高松。高松で徳島行きに乗り換え、徳島で本数の少ない鈍行に乗り換える。長崎も地の果てだと思っていたが地の果てから地の果てへ。



駅前通り。



繁華街?唯一の信号か。



空き家?かな、かなりあるよう。伊勢エビ漁がおもな町の基幹産業だが、過疎化の波がここにも。



防波堤と平行に連なる古い家並み。まるで昭和で時間がとまったようだ。



陸上交通の面からを考えると不便きわまりない土地だが、戦後の急速なモーターゼリーションが起きる以前は、船が交通の主役だった。津々浦々という言葉は、小舟を自由に操って自由に小さな湊をいききしていた風景から生まれると思う。


由岐港の歴史は古い。田井からは縄文時代の勾玉が発掘されていて、9世紀の古地図には雪という地名で載っていたのを見たことがある。天然の良港として風待ち港として、数多くの海の旅人・漁船が出入りしていたようで、明治になってからは、九州の漁場の開発に乗り出し、長崎の五島を皮切りに、長崎・福岡を拠点とした以西底引き業魚を支えた。日和佐町、由岐町、多くの人が長崎、福岡へと働きに出た。母の父は五島へと進出し、幾多の船を率いる船頭として羽振りが良かったという。


迎え提灯が揺れる。



田井ノ浜。海の家も3軒くらいあったと記憶しているが、今は1軒だけ。こんな小さい浜だったけ? 土用のときには線路まで大波がくるというが、この日の波は穏やかだった。



夏の間、臨時の駅ができ、汽車を降りるとすぐ海。降りてくる海水浴客を呼び込みするのはおばちゃん。私はたこ焼き焼いたり、氷削ったり、汗だくだくで夕方までめいっぱい働いたっけ。そしてバイト代を握りしめて、町に一軒ある美容院へ初めてのパーマをかけに行ったなあ。見事な失敗おばちゃんパーマに泣いたっけ。



昔はなかった立派な道路を通って日和佐町へ。何年か前にNHKの朝ドラの舞台となったと思うが、見てない。由岐町よりも開けた感じで四国八十は箇所巡りの薬王寺がある。



ウミガメが産卵しに来る大浜。ここはちっとも変わってない。



カメ〜!!いや公衆電話ボックス。いまどきなんて珍しい。
 




町の佇まいもぜんぜん変わってなかった。細い路地が縦横に走り、塀は苔むして道は細い。




父の一番上の姉であるおばの家を探すが、迷路のようになっていて結局あきらめる。この家はいつ頃たてられたんだろうか?



阿波踊りを踊る人々の中に親戚のおじちゃん、おばちゃん、そして長崎に船乗りとしてきてた同郷のおじさんや、おばさんに似た顔をたくさん見つけてしまう。阿波弁を話す人の声が聞こえてくると、懐かしい父の話し方を想い出す。あの踊りの輪に進んでおどり込んでいったおちびちゃんは、数十年前の私だ。
ここは私の故郷ではないけれど、血の故郷だ。