壱岐ロヂウラ探索

壱岐勝本港。この海の先には、対馬海峡そして大陸が広がる。



イカ釣り漁船がたくさん停泊しているが、ガソリンの高騰で今シーズンのイカ漁は大打撃だ。



ちなみに壱岐のウニ飯とイカで相方を釣って、島嫌いの相方を壱岐にと誘った。なんでも島は天候で帰れなくなることがあるのと、船に酔うから嫌なんだそう・・・。仕事で五島に何度も行ったので、島はもういいんだと。念願かなってウニ飯は食べられたが、イカの刺身はなし。帰るまでずっと『俺はイカが食いたかった・・・』ああもう、うっとおしい。


港では来週行われる聖母宮(しょうもぐう)の秋の大祭で行われるみゆき船(2隻の和船で競争するらしい)の練習。



この港は古代、神功皇后新羅征討に出発した港。元寇の時代、ここから蒙古軍が上陸し、残虐な殺戮の限りをつくした場所、秀吉の時代、朝鮮征討に出発する加藤清正小西行長軍勢が、陣立てをして出航した場所。
何より、魏志倭人伝にクニとして描かれた場所でもある。

漁師町の風情はやはりどこも似たようなものだけど、



たまたま見てた歴史番組で、土地に根付き作物を作る農民は、土地を塀で囲む。それに比べ塀を作らず、塀があれば乗り越えていくのが遊牧民だと。だとすれば海の民もいつでも船に乗ってどこへでも行けるように塀なしなのかな?


そんなことを考えながら、道を歩く。こういう風景に惹かれるのも私には海の民の血が流れているからかな。



これは旅館跡。もう営業してないようだ。



海を見つめるにゃんこ。



壱岐はこの間行った平戸とは違って、山がなだらかで田んぼも多い。ちょうど稲刈りの真っ最中で、どこも袈裟懸けの景色。



島嫌いの相方(だってさあ、九州だって島だっちゅう〜の)をその気にさせた決定打は、やっぱり温泉。
温泉がある湯本町の看板建築の酒屋。壱岐の焼酎は麦焼酎が主流。



ベンガラの塗られた格子。



ちょうど教室の中に作られたような趣の共同湯。最近八十八湯に認定されたらしい。


入り口は引き戸2つに、何の障害物もなく、脱衣所とお風呂。着替えてたら、がらっと音がして、
『あっ間違えた!』と親父の声。あたふたして振り向くともう引き戸が閉まっていたが、あれは絶対わざとだ!このやろー!!!
 

相方はウニ飯食べて温泉はいってご満悦。
けれど私の目的は、勝本漁港と古い素朴な神社群と原の辻遺跡邪馬台国の時代のクニ跡がそっくり出てきた重要な遺跡。古墳もたくさんある。これを回らねば壱岐に来た意味がない。ということで次は、神社・遺跡編へつづく〜。