虫追い祭り

田主丸の虫追い祭りは江戸時代から300年続いてきた伝統行事だったが、戦後途絶えた。戦後15年ほどして地元の青年団によって復活。3年ごとに行われる。もともとは、稲の害虫を鉦太鼓を打ち鳴らし、夜は松明をつけ追い払うのが目的だったという。江戸時代、虫追いをした地方は、害虫のせいで米の出来が悪かろうと言うことで年貢を割り引いて貰うことがあったため、実際は『年貢をまけて〜デモンストレーション』のような目的もあったらしい。あと数少ない村人の楽しみの行事だったとも。

けんか祭りである。
といってもケンカをするのは人形。それも平家の斉藤別当実盛(昔木曾義仲を救った人格者で、このとき齢70過ぎ、白髪を黒く染めて参戦)と
その愛馬(名前なんていったんだろう?)。


そして源氏方の手塚太郎光盛(手塚治虫のご先祖さんだって)。



平家物語に登場する『篠原の合戦』を模した演舞。鐘や太鼓の音に合わせて、竹に結わえられた胴体、手足をそれぞれを屈強の6人の男達が、『えっさ!』という掛け声とともに操る。


何故ここで平家?だが、筑後川流域は平家落人の伝説がどこにでもある。平家とは深い縁があったようだ(平清盛日宋貿易を指南したのは太宰府天満宮&安曇族なんだって)。ここらあたりでも落ち武者を匿ったらしい。

早朝から月読神社を皮切りに、町内を練り歩き、収穫祭の会場(例年ここに箒を買いに行く)で演舞し、クライマックスは夜、巨勢川の河川敷で行われる。けんか祭りとあって、人形だけでなく、操る人間同士手や足を出し合う場面も昔はあったそうだ。始まる前に『大人の対応を・・・』なんて誰かが諫めてた。


松明に火をつけて、いよいよ夜の虫追いが始まる。



掛け声とともに間合いをつめ



激しくぶつかりあい、



支える竹が割れてしまうほどの激しさ。



実盛の愛馬は心配そうに戦いを見守り、



実盛の情勢が悪くなると加勢に乱入してくる。



激しい動きなので、支える方も大変だ。持ち手をしょっちゅう交代し、竹をつけかえて修理しながらの演舞。



男衆はずぶ濡れで竹を支える。


平家物語では、『斉藤別当実盛はその名を北国の巷に揚ぐとかや。朽ちもせぬむなしき名のみ留め置いて、骸は越路の末の塵となるこそ哀れなれ』と評され、芭蕉は『むざんやな甲の下のきりぎりす』と詠んだ。



実盛が乗っていた馬が稲の切り株につまづいたところを討ち取られたために、実盛が稲を食い荒らす害虫になったとの言い伝えがある。ウンカのことを実盛虫と言ったらしい。が、田主丸の虫追いのフィナーレは、割って入った馬が、手塚太郎光盛を踏みつぶす場面で終わる。


史実とは違うフィナーレがなんだかせつない。