天衝舞

佐賀県は天山の麓、古湯温泉からさらに奥に入った小さな村落、富士町市川の諏訪神社の秋の豊穣を神に感謝する祭。


小さな橋を渡って、神社への坂を祭りの行列が入ってくる


待っている間これは何だろうと思っていたら、


清冽な川の水に浸して、清めの水として踊り手達にふりかけるものだった。
鉦打ちの男衆。


太鼓打ち(モリャーシ)の男達。

なんていうか、南方系のようでもあり、朝鮮半島系のようでもあり、不思議な異国感がある。

傘鉾と日の丸の扇の下は、稲、麦、大豆、あと2種類はわからないが五穀にあたる作物がぶら下がっている。

扇子舞の女の子達。


クライマックスは、大人が二人がかりで抱えるほどの巨大なテンツキを頭に取り付けたテンツクミャアの踊りの奉納


太陽と月と雲龍をあしらっているこの巨大な角のようなものは、いったいどんな意味があるのだろう・・・。



五穀豊穣を神に感謝し、収穫を祝い、天下太平を祈願するという神前奉納の神事である天衝舞、起源は定かでない。
中国大陸の神話によれば、漢族の祖とされる「夏」の黄帝は、揚子江流域にした「蚩尤(しゆう)」と呼ばれる民族を滅ぼす。蚩尤の民は漢人から「三苗」と呼ばれ、「苗族(ミャオ族)」の祖となり、一部は内陸部に移動、一部の族は海を渡って日本に来たという。
苗族は、焼き畑で陸稲、雑穀、芋を作り、棚田で水稲も作る。餅をつき、赤飯やちまきを作る。納豆を食べ、麹で酒を作る。信仰は、万物に神が宿ると信じ、依り代を祀り、五穀豊穣を祈る。家の中には祖霊を祀るなど、日本人との食文化・精神文化の基底まで同じくするという研究者がいるほどだ。

同じく佐賀県杵島郡には歌垣の伝承が残るところがある。歌垣とは、若い男女が山に集まり、互いに歌を詠み交わし、舞踏して遊ぶ。そして歌舞の間に気に入った相手を見つけ、約束の印に品物を男から女に送るという、今で言う婚活の場所だったみだいた。筑波山能勢町の歌垣山にその伝承が残ると言うが、そういえば、小野小町はこの杵島郡の出身だった。この歌垣の風習もまた苗族にあるという。


古代の有明沿岸は、異国から渡来してくる民族の玄関口だったのだろう。いや有明海沿岸だけじゃない、九州西岸は、南方ルート、揚子江ルートの海の玄関口となる港が目白押しだ。言葉も目の色も肌の色も風俗も違う渡来人で溢れかえってたのかもと考えると、ふるふるするなあ。


傘鉾は、よく見ると、女性の留め袖と帯でできていた。これはすごく日本的。



ぱんぱこの女の子。これも留め袖だろうか?



奉納舞が終わって、鉦打ちの男達が村へと戻ってゆく。


秋の良く晴れた陽射しが優しい。


子から孫へと長く長く伝えられてきたに違いない祀り。末永く伝えられていくことを切に願いながら帰路についた。