のぼるオリオン、海の径その2

相方は2回目、私は初沖縄。他はどうでも、どうしても絶対絶対行きたかったのは、斎場御嶽(せーふぁーうたき)。
だが、ツキに見放されているのか、一年に2回の休息日をひきあて、中に入ることはかなわなかった。御嶽があるところだけ木々の雰囲気が違う。駐車場でうらめしく、な〜〜ぜ〜〜?ど〜〜し〜〜て〜〜?しばらく立ち直れなかった。涙をのんで、神が降り立ったといわれる久高島を遙拝する。


ちょうど御嶽からは真東の位置に浮かぶ、平たい珊瑚礁でできた島。遙か遠い東の海の彼方、あるいは海の底、ニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし、人の命もここからやってきて、死者の魂もここへ去ると沖縄の人は考えたという。
太陽もこの地平線からのぼり、月も夜空に輝く星々もこの地平線からのぼる。東は、始まりの方角だ。
久高島の神女組織、祝女ノロ)は、太陽の昇る位置を観察し、天体の動きと理、気象を観測し続け、暦に関わる集団ではなかったかと密かに考えているのだがどうだろう。暦の編纂は国家にとって、国家を国家たらしめるトップシークレットとして密かに継続維持されたんじゃないかなあ。


祈りの島、沖縄。


住宅街のどまんなかに亀甲墓も点在し、その立派さに驚いた。発祥は中国南部だという。写真でよく見る漆喰で塗り固めたこういう屋根のおうちは数えるくらいしかなく、



ほとんどがコンクリート状のテラスのあるおうちやビルが主流を占め、まるで地中海に浮かぶリゾート島のような風景(木造の家はほとんど見かけなかった)、古いものや古い信仰と新しいもの、美しい自然と無機質の基地がモザイクのように混在していて、なんだか強烈な印象を受けた。もうひとつの印象は奇妙な懐かしさ。
お盆に全島で行われるエイサーの実演が見られると言うことで、娘の勧めで琉球村に立ち寄ったのだが(娘はお盆になるとエイサーを見に沖縄に通い続けてた)、そこで見る人々の顔立ちが奇妙に懐かしい。




長崎から福岡に引っ越したとき、同じ九州なのにああ顔立ちが随分違うと思ったことを思い出す。沖縄の人々は長崎人の顔立ちを彷彿とさせる。この兄ちゃんなんか、知り合いにそっくりだ。


名古屋に行ったときも福岡美人と名古屋美人は違うなあと思ったものだが、同じ日本人でも26種類以上のDNAが混じり合うのだからやっぱ違って当たり前なのかな。
琉球村には、沖縄島以外の島々からの伝統的な家々が保存されていて、どれもこれもが懐かしくて懐かしくて涙が出そうだった。


石垣も


開け放たれた軒先も



あちこちに無造作に置かれている甕も。



そして忘れちゃいけない水牛のてっちゃん。いやあラブリーだった。

普通の牛より小ぶりで、毛の密度がまばら。サーター車を回して黒糖作りが彼のお仕事だが、ちょろっとお仕事しては水浴びをしてもらい、観光客に愛想を振りまく。観光客が顔を寄せると、カメラ目線でぬ〜っと真横に顔を寄せてくるまあ大人しい牛くん。サトウキビの甘い香りがして、抱きしめたいくらい。


福岡で発掘された弥生の遺跡、弥生人の王族の腕を飾ったのは、奄美以南でしか採れないゴホウラ貝の貝輪だった。此の地で加工され、海に浮かぶ島々を小さき舟で渡り、九州の西海岸を経由して福岡の地まで渡ってくる交易の海の径が、弥生の時代からあったことにずっと驚愕の想いを抱いていた。海の民のたくましさを改めて思う・・・・・。