名前

これを読めた人はかなりの古代史通。


「さにわ」と読む。後々「沙庭」と当て字され、神を祀り神託を受け解釈をし伝えることを意味するようになったが、本来は、航海をする日のりや是非を問うたのが最初と言われる。海を渡ることが古代人にとって命がけの大事業だった時代、季節を読み風を読み、航路を読み、船出のすべてを決定するカシヒコ(舵取りの意)ができる限りを準備した上で、最後の最後の部分は神に命を預ける、海人族の古い古い祭祀の形だ。が、後世、「沙庭」と変化し、子孫である中臣氏、藤原氏は力を伸ばし、朝廷での位置を不動のものとした。なんせ神様のお告げだもんね。えばれるはずだ。

小さな鈴が置かれるばかりの小さな祠だが、この名前を冠している神社はここだけしかない。



さてこの舌を噛みそうな中臣烏賊津使主、このときはおじいちゃんで若い神功皇后に従っていわゆる新羅征討に従事したという。



この神はこのほかに名前がたくさんある。いや古代の重要な神々は、名前をたくさんもっている。幼少時の名前、成人してからの名前、配偶者が変わるたび、住んでる場所、赴任した場所、何か事をなしたとき、名前がころころ変わっていたんだと。最近、ようやくこのへんの整理ができつつあるが、いやはや数が多すぎてややこしいことこのうえない。


現在の私たちは1つの名前で生涯を過ごすが、江戸時代あたりまで成長するたびに名前を変えるのが常だったという。いや今でも幼少時、周りの人は自分のことをなんと呼んだか、成人していろんな役職についたとき人はなんと自分を呼ぶか、家族は、連れ合いはなんと自分のことを呼ぶか、呼ばれる名前はいくつかはあるのかもしれない。


「彼は昔の彼ならず」とはたしか英語の教科書に載っていたような気がするが、先日養老孟司さんが面白いことを話していた。人はどんどん変わるのに1つの名前に縛られるのはこれ如何に?一年前の鈴木さんと一年後の鈴木さんは名前は一緒でも中身は変化している・・・・・。そんなことを話していたと思うが、確かにそれはいえてる。


そういえば、うちのにゃんずにも複数の名前があるなあ・・・・
サスケ→チャチュケ、営業(接待)部長、どうしてやろうかしゃん
モンチー→モンチコチー、モンテコ、姉御
ナッツ→チナ、チナップ、チャッピー、ナップク、
まめ→クロッピー、まめちん、わがまま娘
モモ→ももしゃん、ハカイオー、ドラエモン
たまちん2号→ころん、ハンモッカー
Qちゃん→ちょんぴー、ジプシー
ごまちん→4軒先のおうちでダルと呼ばれ、ごはんを朝夕2回もらって可愛がられていると最近判明。
ぽっぽ→このあいだ2,3年ぶりかにうちに出現(雄猫から追われていた)、名前を呼ぶとはっとして寄ってきたが、やっぱり自分のテリトリーに帰還。どっかで可愛がられてるようだ。


もうすでにメイもメイチッコ(おしっこに外に連れて行くとき)、メイチキン(怖がって隠れたとき)と複数の名前が・・・そんときの気分で名前が増えていく。
ときどきポンタ。


たくさんの名前がある方がいいのか悪いのかはわからないが、名前があって、読んでくれる誰かがいて、それは確かに今ここに存在しているという証。