謎が謎を呼ぶ

神社巡りをしていると、不思議な神社に出逢うことがある。



村社?郷社?なのにこんな屋根飾りは初めて見た。彫刻も素晴らしい。


抱き柏のご紋が一番下にある。岡藩中川家の紋。


拝殿の屋根には青い羅針盤。海神族の神社なのかな?


うたれている神紋が五七の桐と重ね菊のご紋なので、相当格式の高い神様を祭っているようなのだが祭神も由緒もわからない。


神社の前に地神とうたれた岩があったので元々はこの岩しかなかったのかもしれず、江戸時代岡藩が再興したのかもと推測したのだがどうだろう。



中川家と言えば久住山が好きで久住山の中腹にお墓をたてた藩主がいたということしか知らなかったが、帰って調べると、隠れキリシタン大名で、この紋以外にも隠れクルスをあしらった紋があるとか。竹田市内にはキリスト教墓だとか隠れた遺跡がいろいろあるようだ。知らなかったなあ。



さらにびっくりしたのが境内にあったこの宝塔。

帰って調べると、地元の人は虎御前の墓といっているというのだ。


虎御前・・・平家から源氏に世の中が変わる激動の時代に、伊豆で起こった曾我兄弟の仇討ちに関わる女性。
実はこの虎御前の墓、九州のいたるところにある。いたるところといっても何かしら由来のあるところだと思うのだが、この由来がよくわからず、なんだってあちこちにあるんだろうというのが第一の謎。

WIKで調べると、仇討ちをした曾我兄弟のお兄さんの方のお妾さんとか遊女とかあるが、結構いいところ娘さんなんだよね。事件のあと出家してあちこちを回ったというが、九州にたくさん墓があるのが解せない。

驚いたことに、何故か薩摩藩郷士教育の一環として、この仇討ちのことを子弟に教え、毎年夏になると曽我どんの仇討ちといって和傘を積み重ねて焼く祭りを連綿と続けているのが第2の謎。どうもこの仇討ち騒動を起こした一族と薩摩藩とは、主従関係にあったようなのだが、傘を焼くことの意味がよくわからない。

この曾我兄弟の仇討ち・・・調べていくとどっちもどっちだろうみたいな動機なのだが、頼朝暗殺を企てた陰謀事件じゃなかったかという説もあって、時代が平家から源氏へと移り変わるそういう時代背景が根深くあるようなのだが、それも時の彼方。



豊後大野のお山は紅葉まっさかりで


山に抱かれた神社は神々しかった。


不思議な形。



今回は、神社研究の先輩と一緒に巡ったので、楽しかった。興味の方向が同じというのはやっぱり嬉しいし、洞察力が凄くいつも目がひらくような指摘をされるひとなのですごく勉強になる。

相方と神社巡りをすると、どこまでも運転して貰うのは楽ちんだが、高級飯を食わせねばならず、温泉がないと嫌というし、じっくり見たいのにまだか〜〜〜〜とプレッシャーかけてくるし、通りすがら小さな気になる神社を見つけても半分くらいは無視されるし。。。。飯や温泉に時間使うくらいなら、限られた時間1つでも神社を見たいというのが本音なんだけど、。。。。。まあ仕方がないか・・・。