吉野ヶ里

味噌としょうゆがきれそうだったので、佐賀県吉野ヶ里にある北村醤油醸造さんへ。
人から教えて頂いてのだが、美味しくてここの味噌と醤油は我が家の定番に。煮もの作ったとき全然風味が違う、私ってこんなに煮物上手だったけ〜と感動したほど。料理下手の私のつお〜い味方だ。

せっかく吉野ヶ里にいくならばと、ちょうど奈良のまき向からの出土品資料が来ているイベントの初日だったので久しぶりに吉野ヶ里遺跡にも足を伸ばした。


「そうそう、なんばいいよっと〜邪馬台国は九州たい。」このところしばらく卑弥呼のお宝を探す会の活動を休止中の会長(私)は会員一号(相方)と気炎をあげながらゲートをくぐる。

古代の道具のオブジェ。いいわあ〜このまま持って帰りたい



逆茂木と堀、全体もそうだが、集落ごとにこういう木が張り巡らされ、この時代の厳しさがひしひし。




西都原の資料館の館長さんとお話したとき、吉野ヶ里出土の人骨を全部見たそうなんだが、あまりの凄惨さにびっくりしたとおしゃっていた。鏃がささったまま、剣が刺さったまま、おなかを剣で無数にさされた女性等、魏志倭人伝に書かれているとおり、小さなクニグニが統合されるまさにまっただなかの時代。身分の高い人は腕輪たくさんしてたり、豪奢な副葬品とともに埋葬されたけどね。平和な今の時代に生まれてほんとに良かったと思う。



一番奥にある王の墓、北墳丘墓。手前に祭祀場があり、ここに至る広い地下から、甕棺が無数に出土した。



ここに葬られた1つ1つの甕棺にいろんな人生がつまっていたのかと思うと、時間の流れって容赦ないなって思ってしまう。
まるで寄り添うように回りの草むらに遅れて咲いた彼岸花が美しかった。


近くの銚子塚古墳により、古湯に入って帰路についたのだが、古墳の近くに栗の実がいっぱい落ちてたのを天からの恵みだーと狂喜乱舞して夢中で拾い、帰路についた。やっぱ何よりも団子か〜〜。
あずきと餅米ちょっとたして、今夜は栗ご飯だぜ!