リベンジ下関その1

正月、雪のために慌ただしい道行きとなった下関探索。リベンジじゃとばかり、再度下関へGO!。今回も天気予報とにらめっこ。夕方から夜にかけて強力な寒気団が来襲、大雪となる予報。朝早く出て、夕方6時には戻る計画をたて、完全防寒対策をして出かけた。

下関で高速を降り、まず長府を目指したが、狭い路地に迷い込み、でたのは乃木神社の前。ご存じ乃木希典の出身地(生家跡)に建立された神社。
幾多の神社を訪れたが、神社の境内に入ると、まず感じるそこの神社の雰囲気というのがある。



老若男女がつどい、境内は穏やかで優しい雰囲気。ああ地元の方々にとても大切にされ愛されている神社。



建物の中で、神主さんがおばあさんになにやら祝詞をあげ、破魔矢を買うとやっぱり祝詞をあげてくれる。
神社の同じ敷地内に生家跡とゆかりの品々を展示している建物が併設され、乃木将軍が愛したモノや写真が陳列されているのでそこも見て回った。見物の方々が口々に、『乃木さんは・・・』とまるで近所の好々爺を呼ぶように親しげによもやま話をされているのと、石のコレクターだったらしく、全国から寄贈された珍しい石の数々がとても印象的だった。


生家横に植えられていた小さな梅の花、雪がちらつく寒い日だったのに、花がぽちぽち。

この梅の花のように、小さいけれどほっこりとした温かい神社だった。寄って良かった。



乃木神社から、長府の城下町に下り、功山寺を目指す。高杉晋作奇兵隊を率いて、維新ののろしを上げた場所、曹洞宗名刹だ。

この長い階段を胸に火が燃えるような思いで名もなき男たちが駆け上がったのねと思うとどきどきする。
山門は、曹洞宗のお寺らしく質素で素晴らしい。


実はここに来るのは2回目。ウン十年前に晋作の足跡をたどりに来たときには、お寺の敷地内にある長府歴史博物館で高杉晋作の資料をむさぼり読んだ記憶が残っているが、今回は龍馬ブームでもあり、龍馬の下関の足跡展があっていた。龍馬愛用の茶碗やら、龍馬の手紙(原本)が数多く収蔵されており、恐るべし、長府博物館。

姉乙女にあてた手紙《日本を今一度せんたく・・・》


薩長同盟書 裏に朱色で龍馬の裏書


新政府綱領八策 ○○○にはいる人物は誰か、龍馬伝のクライマックス〜


真ん中が龍馬、やっぱいいおとこだ〜。


このほかにも、遺言状やらおりょうに当てた朝帰りをわびる軽妙な手紙など龍馬ファンには垂涎の資料がてんこもり。全部原本。


今回きづいたことがある。功山寺は長府毛利藩邸の目と鼻の先、菩提寺でもある。長府毛利藩は萩毛利藩の分家に当たるらしいが、目の前の晋作の挙兵を黙認または容認した節がある。もしかしたら支援したのかもしれない。下関で英艦隊と一線交えた戦いで黒船の威力ひいては外国の脅威を一番身近に感じたのは長府毛利藩で、四民がこぞって奇兵隊に参加し、藩も萩の毛利の手前、表立って支援はできないが、陰で物資・人的支援を行ったのだと思う。海峡から体感した時事意識はどこの藩よりも鋭敏だったように思う。



今もひっきりなしにいろんな国籍の船が往来する下関海峡。

そのときどきの歴史の激動を見つめてきたに違いない海峡は、あらためて私らでべぞ夫婦のうろうろ意欲を喚起したのだった。