リベンジ下関その3

唐戸市場で身も心も満ち足りたが、外は雪がちらつき、指先が凍るような寒さ。ここから、白石正一郎宅跡、高杉晋作終焉の地、桜山神社をめざす。


龍馬を支援した下関の豪商、白石正一郎宅は、昔は屋敷のすぐそばに船止めがあり、すぐに海に出て行けるようになっていたが、


今は埋め立てられ車の往来の激しい国道沿いに碑のみ立つ。車の中から確認し、晋作の終焉地に急いだ。


晋作の終焉地の横に車をとめ、写真撮影したあと手を合わせる。

雪がひどくなってきた、手がかじかむ。急いで車に戻り、次の桜山神社の場所を地図で確認していると、車の窓をとんとんと叩く人が・・・。
『あちゃ〜、ここに止めてはいけなかったのね。』と窓を開けると、『終焉地にこられたんでしょう、うちに資料があるから寄っていきませんか?』と人の良さそうなおじいさんが笑っておっしゃる。
なんとこの方、高杉東行終焉の地碑前祭、実行委員長のお方。今年は没後140年にあたり、4月14日の命日に盛大にやるので、どうぞおいでくださいという。命日には剣舞、詩吟等で晋作の魂を慰めているそう。おうちにまで招き入れられ、玄関先でその地碑前祭のパネルをいくつも見せていただき、資料までいただいた。



『実は夕方から、この剣舞を舞ってくれる○○君の結婚式があり、招待されててね、これも不思議な縁ですなあ』と穏やかに笑う。
桜山神社はぜひともお寄りください。吉田松陰先生、高杉晋作奇兵隊の名もなき志士たちの碑が並ぶ招魂社がありますよ。』

140年もの間、下関の人たちにこんなにも大事にされ愛されている。四民の別なく構成された奇兵隊というが、その多くがこの長府下関の名もなき男だちだったに違いない。そのことを誇りに思い、敬愛の念で大切に伝え、守っている人たちになんだか頭が下がる思いだった。
パネルの写真、おじいさんの写真を撮らせていただいて丁重にお礼を言って名刺までいただき、雪がちらつくなかを桜山神社へ。


高台にあり、下関の街と海峡が見渡せる景勝の地、春はきっと桜の名所。
靖国神社の発祥、原型とも言われるこの神社、お社の裏に高杉晋作の発議により創建された招魂社がある。吉田松陰、晋作の碑は他よりちょっと高かったが、おじいさんの言うように平等に同じ場所に整然と並んでいる様は、心が熱くなった。


『狂』でなければ、諸外国の租借地となった上海の二の舞になるという危機は回避できなかった。そしてその気持ちを痛いほど理解し、分かち合ったのが、ここ下関長府の人々だったに違いない。いろんな思いが去来してしばらく動けなかったが、折からの雪でどうにも寒くて痛くて、後ろ髪ひかれるような思いで神社を後にした。


この後、下関考古博物館、川棚温泉と足を伸ばす予定だったが、天候の先行きが怪しくなったため、彦島手前の日の出温泉にはいり、冷えた身体をあっためて帰路につくことに予定変更。また来よう!今度は古代史探索ツアーだ!!!

日の出温泉、懐かしい銭湯タイプの温泉で、オープン3時前にはご近所のおじいちゃん、おばあちゃんが行列し、おばあちゃんパワーに圧倒される。みんなワイワイきゃあきゃあ愉しそうで、たまにはこんな温泉に紛れ込むのもいいねといって下関をあとにした。
家に近づくにつれ、壁のような雪雲がすぐそこまで来襲、家に着く頃には吹雪いてきた。



どうにかぎりぎりセーフ!下関・長府の旅はサプライズと人の心の熱さに満ちた感動のツアーだった。