幻の薔薇をたずねてツアー、薔薇はどこいった?

呉は、旧日本海軍の重要な基地であり、今も海上自衛隊が駐屯する基地の街だった。



フェリー乗り場に隣接している海上自衛隊資料館てつのくじら館。実物の潜水艦・・・この中に入って見学ができる。

道路を挟んで大和ミュージアム戦艦大和の精巧な巨大模型が展示されている。
小学生のときにプラモづくりに熱中したという相方によると、この巨大な戦艦は同じようなものが3隻作られたそうだが、そのうち世界の技術の趨勢は空母に移り、結局最大といわれた大砲は一度も使われることなく、沖縄の海のもずくとなった。




零戦、回天なども実物が展示されていて、横でプラモおっさんが写真、写真とうるさく騒いでいたが、これだけの鉄の塊が海の底??なんか戦争って壮大で愚かしい無駄使いじゃない?若い命だってたくさん海の底に沈んで・・・ええっ!そう思わん?と独りプリプリ。
海上自衛隊の資料館では、戦後最初の任務が、安全な航路を確保するための掃海作戦ーーーつまり海に沈んだ機雷を取り除く命がけの作業から始まったという。資源かき集めて作るしこ作って、そしてそれをまた膨大な労力使って回収するなんて、なんかものすご〜く無駄、絶対無駄!とここでもまた、ワアワア、プリプリ。



フェリーから見る呉の港は、江田島能美島が湾を守るように位置し、なるほどここは軍港としては天然の良港。港には、たくさんの自衛艦が停泊していた。なんか長崎の港の風景に似てる。



松山へは、音戸の瀬戸という細い海峡を通っていく。(フェリーの底がぶつからないのだろうかとひやひや)。



大小さまざまな島が点在し、これまた大小さまざまな船がひっきりなしに行きかう。高速などなかった昔は、このあたりでは船が交通の手段として生活を支えていたんだなあ、水軍、海賊なんていうのもいたんだろうなあなんてことを想像しながら、フェリーの中をうろうろ。おっさんはまたもや2時間弱を熟睡。よー寝るやっちゃ!


さて松山につきお楽しみの温泉じゃーと道後温泉に直行したが、せっかくの温泉はどこも人人人・・・7時過ぎにもかかわらず、ものすごい行列。行列するのは嫌なので、かわりにはいった椿の湯でも芋の子洗い状態。ついでにお口直しにいやお風呂直しに次の日に行った、奥道後温泉も人であふれ、ゴールデンウィークに観光地に行くもんじゃないわあ・・・と深く反省。



次の日、坂の上の雲ミュージアムで、久しぶりに司馬遼太郎の文章に触れることができた。



司馬遼太郎が生きていたら今の日本をどう考えるだろう。



敗戦後日本人は必死に廃墟の中から立ち上がり、高度経済成長の道をひた走ってきた。大量生産、大量消費、それを支えた原発。高度経済成長とは大量の電気を使って便利なものをどんどん作り出し、消費を加速的にうながすいっぽうごみを大量に作りだす時代だと思う。
なんだかなあ、原発の問題を考えるときに、この背景にある無駄をいっぱい抱えた消費美徳の考えを変えないといけない・・・のかなあとまたもやもんもん。



でも松山ご飯は美味しかった。


いっぺんでファンになったじゃこ天と


だし&卵そして鯛を混ぜてごはんにかけて食べる、スペシャル卵ごはん。


もういちど、小説を読み返そうかな。司馬さんが何を未来に託したのか、もう一度しっかり読み解こう。