歴史編

温泉、酒蔵と相方の行きたいところばかり押し切られそうだったが、絶対に外さず行きたいところがあった。


韓国宇豆峰神社(からくにうずみねじんじゃ)、古代史最大の渡来人秦氏ゆかりの神社。


隼人と秦氏の縁は深い。反乱を起こした隼人を慰撫するため、豊前の国から移住してきた(させられた?)秦氏由来の人たちがこの神社を創設し、ご神体の山を故郷を偲んで韓国岳と名づけたという。延喜式にも載る古い古い格式の高い神社。



宮崎県の西都原古墳(さいとばるこふん)の資料館の館長さんにいろいろお話しを伺ったことがある。
いわゆる日本最大の古墳である仁徳陵。ここには仁徳稜にそっくりそのままミニュチュア版の古墳がある。婚姻関係を結んで、仁徳天皇の姻戚となった首領の墓。応神・仁徳の東遷を支えた軍事力となったのが、ここ西都原の日向隼人だったと思われる。
京都と奈良の間くらいに大隅(大住)と名のつく地名が残る。隼人はこの時代の天皇の護衛職についていたらしい。



さて応神天皇とともにやってきた秦氏(いや応神自体が秦氏の出自かもしれない)、土木・灌漑・養蚕・機織りなどの高い技術をもった集団で全国にちらばった。京都の太秦(うずまさ)に住むことを許されたという記述もあるし、九州にもその足跡は至る所にある





和気神社。いわゆる宇佐神託事件の勅使和気清麻呂天皇の怒りを買いこのあたりに流刑となった。村人が小さな祠を大切に守り伝えていたのを島津斉彬が神社という形で建立したという。和気氏秦氏ゆかりの人だという。



ったく雰囲気ぶちこわしの2人。
神社を守るイノシシの狛犬




秦氏、隼人と足跡を辿っていくと、宇佐の周りは血なまぐさい匂いがする。古代の権力闘争の歴史が垣間見える。





最後に国分町にある鹿児島神宮。ここも古い古い神社。屋根の形に込められた意味は何だったのだろう?




改修されてそんなに日がたってないのだろうか、天井にはあざやかな花の絵が一面。あまりに綺麗でお参りもそこそこで魅入ってしまった。




鹿児島神宮といえば初午祭・めずらしい馬踊りで有名。綺麗に飾り付けられ、胸にたくさんの鈴をつけた馬と人とが一緒に踊りながら、家畜の安全・多産、五穀豊穣、厄払いを願う。馬はこの日に備えて足踏みの練習を重ね、賑やかなお囃子に合わせて踊る。


隣接された資料館の館長さんから聞いた話では、
『加治木にね、薩摩の殿様の馬を育てたとこがあって、そこの馬があがらないと、他の馬はあがれないんだよ』
『厄落としなんかで、馬を仕立てて奉納するときは、馬一頭30万かかるんだよ』
この地方で大切にされてきた、春を告げる祭りだ。
来年春見に行きたいな。




思うに隼人とは『はやひと』『はいと』ハヤブサのような人と呼ばれたように、馬をたくみに操り、戦いにおいては勇猛果敢に戦うが、しかし、ふだんは自然を愛し馬を愛し穏やかで義理堅い人たちではなかったか。


あー長かったかごんま旅行記、おわり!読んでくださった方ありがとうございました。