大阪人情紀行

大阪は好きな街だ。
善し悪しあるのかもしれないが、人と人との垣根が低い、と思う。
金曜夜、新門司港からフェリーで出発し、土曜朝、大阪南港着。昼からの講演会の前に、住吉大社四天王寺を駆け足でまわる。


ちょうど七五三と重なり、境内はその準備でおおわらわ。


おお、向こうからしずしずとやってくるのは!!なんてお目でたい!!!


新郎新婦の晴れやかな顔!外国人の彼は、終始にこにこ、お嫁さんも幸せ一杯の笑顔!おめでとう!!!良い時にいきあった。


境内には、大小さまざまの常夜灯がたくさんあって、安政○年だとか慶応○年、木綿問屋、回船問屋、いろんな商売の人達の願いと祈りがあちこちに存在する。すみよっさんと呼ばれ、農耕の神様でもあり、航海安全、商売繁盛と大阪人にこよなく愛されている神社。生の喜びと活気に満ちた神社だった。


神社前の町の風景は、大阪の下町らしくて好きだなあ。



ここからすぐの所に聖徳太子が初めて建立した四天王寺がある。





中央伽藍は、あいつぐ火災、石山本願寺焼き討ち、大阪の陣、第2次大戦等で焼け落ちたため、コンクリート建てになっていたが、雰囲気がある。撮影禁止の仏様だったので、外からガラス越しに撮影。後期の仏像の顔と違って、飛鳥仏は顔のつくりが日本人離れしてるように思う。
五重塔に入ることができたので、狭い螺旋階段をつたってぜえぜえ登る。廻りにはびっしりとおびただしい数の小さな木の位牌が重ねられ、一番上には仏舎利が置かれていた。仏様と一緒に永遠の眠りにつく場所が五重塔だったんだと長年の疑問が氷解。


このあと大阪城すぐそばの会場になだれ込み(遅刻した)、アメリカの心理学者の話を聞く。講演そっちのけで原稿の手直しをし、講演が終わると同時にまた、大阪の街へ飛び出す。このお馬鹿夫婦は・・・・。
高津宮(仁徳天皇の居館跡)、生國魂神社、上町沿いにずらっと並ぶお寺通りをてくてく歩き、通天閣へ。
大阪の友達と合流して、串カツをたらふく食べ、お好み焼きを食し、明日に備える。やっぱ腹は減っては戦はできぬというからね。




結局ホテルに戻ってから夜遅くまでかかって原稿の手直しをし、ほとんど寝ないまま朝イチの発表に臨んだ形となった。
まあ、、、、なんとかかんとかの20分。無事に終わったぜ〜〜〜。



昼前に終わったので、このあともう一度四天王寺の庭園にもどり、そしてもうひとつどうしても観たかった今城の継体天皇陵に向かう。





もちろんレプリカだが、広大な堀の廻りにもぐるりと円筒埴輪を配している。ものいわぬおびただしい埴輪は、この天皇の巨大な権力を示す。圧倒的な力の誇示だ。このお馬さんが欲しい〜と思ったが、ちゃんと抜けないよう地面に埋め込まれていた。ちぇ。
資料館も巡り、天草の宇土から運び込まれた阿蘇ピンク石の巨大な石棺も見学。宇土から下関海峡を通り瀬戸内海をめぐって大阪に運び込まれたもので、たしか実際に運べるものか実験したと聞いている。


その権力者、継体天皇をけったいさんと呼ぶ、大阪人のユーモアに脱帽。



駐車場のおばちゃん、おじちゃん、食べたところの若いにいちゃん、ガソリンスタンドの青年、出会う人出会う人、サービス精神でいっぱいで、こちらが言葉に出していわなくても、あれやこれや、こういうときはどうしたらいいとか、先回りしていろんなことを話しかけてくれたり、世話焼きしてくれたり。
大阪人はやっぱり元気に溢れているように思う。


さあ、今年の大イベントは終わった。あと残すところ一ヶ月半で今年も過ぎてゆく。