織幡神社

鐘崎港。



急な石段を喘ぐように登り詰めたところに、こんもりとした森に囲まれたお社が鎮座する。突端の鐘の崎の小山に鎮座する織幡神社。



地元ではシクアン様(正しくはシキハム様)と呼ばれているが・・・由来はよくわかってない。
神功皇后三韓征討のおり、武内宿根が紅白二流れの旗を織らせ、長い棹に取り付けて、船の先頭で振って勝利を導いたと言われる伝説が残る。



夏の陽射しが容赦なく照りつけるが、照葉樹林の葉が熱を吸収してくれて、森に入ると思いの外涼しい。



立派な小賀玉の古木もあり、また、神社の麓に守るように武人の石棺も埋まっていたのが、江戸時代発見されたそうで、棺を開けると人骨や鉄剣がほろほろと崩れ落ちたと伝えられる。




三韓征討を終え、晩年、武内宿根は「我死なば神霊は必ずやこの地に安ずべし」といい残し、沓を残して肉体のまま昇天されたと伝えられる。その沓塚残っているが、こちらは怖くて見に行かなかった(びびりなので〜)。



福岡県神社史によると、肉体のまま昇天されたところを和魂(にぎみたま)の表として沓塚を祀り、その霊地に荒魂(あらみたま)の表をたてて織幡神社となづけ、壱岐真根子の子孫の人々がこれを伝えて祀っているという。
和魂と荒魂・・・確か出雲大社には、奇魂(くしみたま)、幸魂(さちみたま)というのもあったような・・・。


四魂については、定義がまちまちらしいが、天皇などが死ぬと神霊として留めるために荒魂や和魂を玉などに留める儀式が昔はあったらしい。祭祀をする巫女もいたという。
鎮魂というといまでは死者の霊を慰めることを意味するが、神道では生者の魂を身体に鎮める儀式のことで、不安定な生者の魂を(放っておくと遊離すると考えた)体に鎮めつなぎおくことをたましずめ、魂を外から揺すって活力を与えることをたまふりといった。
魂って体から抜け出たり、体の奥で萎えたりするんだ・・・・。




一霊四魂・・魂は肉体の周囲に浮遊していて、それを丹田に鎮めるのが「鎮魂」。平安時代延喜式に書かれているそうだ。鎮魂状態になると、意識はクリアで、集中していて、体の感覚さえなくなるという。ともあれ、武内宿根は、特別な神事でおのが霊魂を織幡宮に留めさせたわけだ・・・・。
海が眼下に見え、いまはただ漁船が行き交う平和な海。神霊になっていまも海峡の安全を見守ってるのかもしれない。



ここのところ、記録的な猛暑が続き、へとへとな毎日。私の魂は、どっか蒸発しちゃってるんじゃないかなあ・・・。鎮魂の儀式をせんといかんか。