美々津千軒

宮崎日向にいったときに寄った美々津。耳川の対岸にみえるのが美々津港。



ここは紀元前、神武東征の出発港だったという伝承が残る古い港町。名古屋にいったとき、半田市亀崎にたつ神崎神社そばに神武天皇上陸地とあったので、出発の地と降り立った地と両方行けたことになる。真偽の程は遠い歴史の緞帳の向こうだが・・・・。

戦国時代には、九州の覇権を争った大友宗麟と薩摩義久が木城町高城川で激突し、ここ耳川で大友側は敗走、多数の戦死者で河口がふさがったという。下って江戸時代は、高鍋藩の城主が参勤交代で江戸へ向かう際の出発地となった。


河口から坂をのぼって古い家並みがのこる町並みへ向かう。



振り返るとこんな感じ。防災無線が見える。



自動車が通るアスファルトの路地と



石畳の路地。どちらも人が住んでいて、空き家などはないようだ。今と昔がほどよく入り交じってしっぽりとした雰囲気。(雨もふってたし)



木の郵便ポスト、電灯、板の玄関に格子。それぞれの木の古びぐあいが違っていて、趣がある。




これは蔵として使われてたのかな。



昔の廻船問屋が町の歴史博物館になっているので入ってみる



廊下に設けられた床の間?しゃれた空間だ。



階段の下の空間を上手に利用した棚。これってすごく機能的だと思う。



神棚。父の実家にもあったような・・・・。



そして甕〜!!焼酎甕だ!!黒木醸造場と書いてある。この端の緑色の甕が欲しい〜〜。黒木醸造場というときろくという焼酎を造っているところと同じかな?



美々津にゃん発見!!
「なにみてんのよ」



ここって美々津にゃんの爪研ぎ場だったのね。このあと悠然とガリガリ〜〜。



街中になじんでいる猫に出会うとほっとする。


さて、修理に出したカメラ。内側からレンズが曇っていて、ピントがあいにくくなっていたそうだ。
あっやっぱり〜〜。密かに老眼が進んでいるのかしらと危惧していたのだが、レンズの曇りのせいだったのね、老化のせいじゃなかったのねとちょっち安心。
もうしばらくかかるとのこと、ああ待ち遠しい。