空き地のコスモス

すぐ近所の空き地にこぼれるようにいっぱいコスモスが咲いていた。いつの間に・・・・。



昔ここには古い木造の平屋が一軒たっていて、ちんまりとしたおばあちゃんが、もさもさした白い毛の小さな老犬と住んでいた。いつもにこにこして老いた犬の歩調に合わせるようにゆっくりと朝夕散歩にでかけていた。その横をしっぽをぴんとたてた猫が、前になり後になりまとわりつくように散歩のお供。天気の良い日には、庭に椅子をだしてひなたぼっこするおばあちゃんの足元で丸くなっていた。

そのうち犬がなくなりおばあちゃんの姿も見えなくなった。何年か後には家も取り壊され空き地になった。あの猫はどこにいったんだろう。




夏の終わりに、白ブーにゃんが死んだ。たぶん腎臓がいけなくなったと思う。あっという間だった。
耳の手術をしたときに『腎臓の値がよくありませんね。』と言われていたので、ある程度覚悟はしていたのだがあまりに急だった。耳の手術後は同じネコとは思えないほど活発になって、寝てばかりいた猫が、まるで子猫のように目をきらきらさせてたまをとったり、2階にもあがってきて甘えたり。10年ほどうちの階下に住み着いた半野良猫にゃん。なかなか人に慣れなかったが、うちのどんな猫とも上手くつきあい、春の日だまりのような性格の猫だった。幸せだったかなあ。



白ぶーにゃんがいなくなったら、ポンタがうちに寄りつかなくなった。白ブーにゃん、予後の経過がよくなくて一週間ほど病院に預かってもらってたのだが、帰ってきたときには狂気乱舞という言葉通り、首の周りのエリザベスカラーをものともせず、白ブーにゃんにべったりと寄り添って離れなかったポンタ。それなのに白ブーにゃんの死を知って知らずか、もううちにやってこない。


猫が家につくというのは言葉足らずで、単独行動と言われる猫も、誰かのぬくもりが必要なのではと思う。ポンタには白ブーにゃんのぬくもりが必要だったのかもしれない。




もう一匹の通い野良猫アメショー。うちのにゃんずとは全くうまくいかない困ったにゃんなのだが、何故か、犬のぴょんが大好きでなあなあ鳴きながらぴょんの後をついて回り、一生懸命体を寄せる。
なあなあ、なあなあ・・・なんて言ってるんだろうね。



なんだかなあ・・・命は、寄せる魂を選び、求めるのかなあ・・・。ただただ花が綺麗だ。