吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡の年1回の特別企画展に行ってきた。今回は狗奴国を取り上げていて、九州説では九州中南部からでた出土遺物、奈良説では東海地方の出土遺物の展示、こりゃあいかんばでしょ。



展示室の入り口で魏志倭人伝の読み下し文を頂く。


ここ最近の研究者達の注釈もついていて、いや〜こういうトーシロー向きのわかりやすいものが欲しかったのよ。すご〜く得した気分。
名古屋に行ったとき、相方は歴史資料館を回っていたので、地図を見ながら大興奮。名古屋は高速道路の建設時に、弥生時代の遺跡が数多く発掘され、大きな権力をもった豪族の存在にびっくりしたんだそう。二人で安城市にもすごい遺跡の数があるねなんて話していたら、解説員の方に声をかけられ、その後は大盛り上がり。
『ずばり、邪馬台国はどこにあったと思いますか?』
邪馬台国と狗奴国はなんで仲悪かったんでしょう?どういう利害の対決があったと思います?』



やはりもちは餅屋。当時の魏で一里をどのくらいと設定していたのか、当時の国邑の範囲はどのくらいだったのかなど、常識的・具体的でわかりやすい。
右目からうろこだったのが、卑弥呼朝貢に対して魏が下賜した品物の目録部分の順番。
一番が絹織物、毛織物など織物、布のたぐい。2番目が金、3番目が刀で、やっと4番目に銅鏡百枚、真珠・鉛丹と続く。目録の順番から考えて、当時いかに中国が布ー織物を大事な産物として扱っていたかを物語るという。
そして左目からうろこだったのが、甕棺墓の分布。ざっくり考えて背振山が見えるところと考えていいと言う。具体的に地名をあげて検証して頂いたが、なるほど〜〜と感心するばかり。その他にもいろんな情報を教えて頂き、いや〜ためになった。



吉野ヶ里では、絹が生産され、織物も織られていた。出土物から復元されたもの。色が鮮やかだ。



熊本では宅地開発に伴い、たくさんの鉄器を付随した遺跡の発掘ラッシュという。遺跡が、雄弁に語り始めた。




はっと気づけば2時間半。面白い話を聞いてしまって矢のように時間が過ぎてしまった。おなかがぺこぺこ。神崎で名物のそうめんを食べ(美味しいのよ)




雨の中、三瀬に上がって温泉に入り、野菜と三瀬鶏を買い、里山の秋の風景を見ながら帰宅。



充実した一日だった。さて今晩は水炊きだー。自家製ポン酢も作ったことだし、鍋物の季節がやってくるぞ〜。