天神さまの森

武蔵寺は、天拝山(てんぱいさん)の麓にある。天拝山は、太宰府に左遷された菅原道真が、無実の罪を嘆き山頂に立って天を拝んだという伝説から名付けられた山。武蔵寺のすぐ裏に、禊ぎをした小さな滝と御自作天満宮(自らの姿を彫った木像が安置されている)という神社が残っていて、付近の森は、天神様の森となづけられ、自然遊歩道が整備されている。
モミジの大木に包まれた天満宮



この木像、お社の中に安置されていると聞き、一生懸命覗いてみるがよく見えず。
1586年島津軍の兵火に会い、頭部のみ救出され、1692年に身体部を補作したという。これを証明するように頭部と身体部では作風が違い、彩色も頭部のみ完全に剥落。しかして、その面部は、口・顎にひげをあしらって上歯を剥き出し、厳しい目に激しい憤怒の表情を表すという。


菅原道真はその後祟り神として、京で恐れられ御霊となった。遊歩道の道々に無念の想いで歌った歌碑が建ち並ぶそうだが・・・・



太宰府に流されてわずか2年で道真は死んでしまう。歌には無念の想いがあふれ、詠んでると怖くなってきたので途中でやめた。


天神様の森は深く、大木がたくさん残っている。
クスノキの巨木。



これは若葉が赤く、美しかった。なんだろう?ハゼ?ウルシ?



イヌマキの巨木。イヌマキは庭木ではよく見るが、こんな大木は初めて。実は食用となり、桶の材料として使われたという説明書き。



出逢えた森の妖精、キビタキの雄。雌は地味な茶色だが雄の黄色は、緑の中で目立つ。冬は低山で過ごし、繁殖期を迎えると高山の高い梢の先で朗々とした素晴らしい歌声を披露する。




この鳥に出逢えてなんか緊張感がぬけた。
天神様の森はやはりなんか怖い。通りゃんせの唄も、天神様の細道というのがでてくるしなあ・・・。


下界に降りて、夕日に映える麦の穂を眺めながら、ほうっぅぅぅ〜とため息が出た。



道真公はその後学問の神様として、全国津々浦々祀られ、崇拝されていくが、それって彼にとってはあずかり知らぬこと。やっぱり生きてる内に自分の身の潔白を晴らしたかったに違いない。


調べると、初代太宰帥の蘇我日向、世間では隠流しまたはしのび流しといわれたんだと。つまり事実上の栄転。同じく馬子の孫、異母兄の蘇我倉山田石川麿を讒言によって自死まで追い込む働きを評価されてのご褒美だったようだ。蘇我倉山田石川麻呂も乙己の変で、自分のいとこにあたる蘇我入鹿を殺すお手伝いをしているのだから、いやあなんとも権力の世界は恐い、恐い。