歩け歩け吉備路

2日目はここから。
作山古墳の前方部の登り。結構な勾配だ。早朝散歩の方と時々行き会う。




全国第九位の大きさだそうだ。



立て看を読み、古墳やタタラ跡を確認して鬼ノ城にむかう。桃太郎伝説の鬼ヶ島の元となった温羅伝説の残るところ。



おにがじょうと読まず、きのしろと読む。『き』は技術者の古称と聞いていたので、製鉄もしくは冶金もしくは採掘の技術者が住んでいたところではないかと思う。昔は『○き』ノ城とよばれていたかもしれない。鬼ノ城の麓のゴルフ場からたたら跡が数カ所発掘されている。登山入り口は砂川、東は血のように赤い川といわれた血吸川。どちらも鉄にからむ地名の付け方ではなかろうか。
復元された西門。




ここからの景色は絶景だ。吉備平野、ずっとむこうに児島の穴海と呼ばれた海が見渡せる。



頂上付近はお鉢状になっていて、真ん中に住居跡、東西南北に門跡、水門等の遺跡が残り、周遊コースが整備され一周2時間弱で回ることが出来るという。最短時間でどう回ろうかと思案していたら、ボランティアガイドのおじさんがすぅっとよってきて、『北門の水門をみなさい。北半分を回るコースだと、温羅の墓を見ることができますよ。』と熱く語られ、言われたとおりのルートを辿る。



しかしまあこの石垣の技術、版築土塁の技術がすごい。温羅伝説は、九州のあちこちにも似たような話が残るが、どうも中央集権側からの都合のいいでっちあげの話のような気がしないでもない。麓には阿曽神社(地元の人はあぞと発音)、温羅の妻だと言われた阿曽姫のいた集落だが、いまも吉備津神社の鳴釜神事の際には、阿曽女(あぞめ)といって、阿曽の神官の娘が立ち会うという。岡山の花火大会の火も、阿曽神社で熾された火を用いるそうだ。


このあたり、阿曽といい、久米とか井手とか九州の地名の痕跡が残るのが気になるなあ。
中国山地の木々は、製鉄の薪となり、はげ山になるほど切られたと言うが、やっぱりすかすかというかぽよぽよというか、ブロッコリーのような九州の森とは全然違う。



1時間半ほど歩き、日頃運動不足のおばしゃんは、『腰痛い・・・』といいつつ、総社市のたたらの史料館に向かうがなんとお休み・・・・。相方のスケジュールがつまずき、このあたりからだんだん思考停止の状態に陥ってきた。


最近仕入れたおもちゃ、アイパッドをいじくりながら、『次どこいく〜?』タタラ跡は無数にあるが、それが展示され見ることができるとは限らない。ただでさえ技術の漏洩を恐れて、壊すか埋めるかされるのがタタラ跡。そのへんまで調べていなかったらしく、アイパッドをいじいじ。
『とにかく時間が限られているんだから、見ることができるものから回らんと!!』


ちょろっと寄った国分寺跡。家族連れでいっぱいだ。ここで揚げたてのレンコンコロッケと黒豚コロッケを仕入れて小腹を満たし、



造山古墳に向かう。ここは第4位の大きさ。陪審塚が取り囲み、どこからか運ばれたと言われる石棺があるが、阿蘇の凝灰岩だという。ここにも九州の匂い。



ちょうどボランティアガイドに引率されている団体がいて、一緒に後円部に登る。


そのガイドのおじいちゃんが熱弁をふるっていたのが、古墳の話ではなく、秀吉の備中高松城の水攻めの話。これがまあ面白い。毛利軍はこの古墳のうえに土塁を築き、


ちょうど写真の右寄りのところらへんにあった高松城をみることのできるこのあたりに毛利方の武将が陣を張ったという。
『前の小高い丘に吉川なにがし、後ろの山に小早川。ああ、それから向こうに見えるこんもりとしたところに秀吉軍。左の山の裾野の処から足守川の支流の川の水を引き入れて、ちょうど真ん中に見える土手の向こうに土塁を築いたんだよ〜。』

文字でしか知らなかった高松城の水攻めの話が生き生きと甦る。まるで講談を聞いているようで面白かった。
司馬遼太郎播磨灘物語に詳しく書いてあるから、帰ったら読んでね〜。』
オチはそこでしたか。


ちょうど登り口のところに古い家並みが密集していて、



焼き杉板の壁の家が多い。



さてどうしても寄らなければいけない神社、吉備津神社



この吉備津造りと言われている比翼の入り母屋造りと、



鳴釜神事が行われるお釜殿につづく長い回廊を見たかった。



そしてもうひとつの一宮、吉備津彦神社。



なんの先入観も前知識も持たず訪れたが、この神社は神さびていていい神社だった。大鳥居から夏至の朝日が差し込むように作られているという。古い自然信仰が息づいている。帰ったらまたいろいろと調べねば・・・。

もっとも行きたかったこの神社の背後にある埋蔵物資料センターは、あいてはいたが、タタラ関係の展示物はほとんどなく、落胆した相方のお尻を叩いて、最後の頼みのつな岡山博物館に向かうが、特別展示栄西展で郷土資料はお休み。わずかに玄関前にどーんと置かれているベンガラがびっしり塗られた石棺だけをみることができた。




これよこれ、こういうのが見たかった。収められていた遺体にもベンガラがびっしりと塗られていたり、他の棺には大量の水銀朱がびっしりと敷き詰められたという。ああやっと会えた〜。
あてにしていた資料館はほとんど全滅状態。がっくりときた相方は、『これからどうする〜〜』と弱気。


とりあえず博物館の目の前、閉園時間間近の後楽園にはいり、(お殿様のガーデニングは壮大だ)




きびだんごを食べながら、最終日の計画練り直し〜〜〜。



腹が減っては戦はできぬ。緻密なスケジュールを作成するのは得意だが、1つつまづくと、へろへろ〜となる相方。最終日の主導権は握った!!!と腹の中でほくそえんだのだった。うっふっふ。