ベンガラ集落、吹屋

最終日はここから。
備中高松城秀吉水攻めの図


真ん中に舟が2艘浮かんでいる。この舟の上で高松城当主清水宗治が、籠城兵の命と引き替えに秀吉から送られた酒と肴で宴を張り、杯を酌み交わしたあと、舞を舞って自害したという。
低湿地に築かれた城はその後土に埋まったが、近年の発掘で眠っていた蓮の種が復活し、花を咲かせた。人は滅びても自然は蘇る。



わずか12日で築いたという土手は、近隣の農民に土俵1俵につき銭100文、米一升と交換という高額な報酬を与えるという告知を行って築かせた。
保存されている土嚢跡。



農民は先を争って土嚢を運んだと言われるから、清水宗治は領民に裏切られた形になる。戦国の世はなんと厳しい。興味のある方、『播磨灘物語』を読んで見てね。

いよいよ中国山地に分け入る。森が綺麗だ。切り立った山が両側に迫る高梁川を遡上していく。




急峻な斜面に立派な石垣の段々畑。



高梁市から農道を駆け上がり、天空の段々畑。地下水と天水だけで米を育てるという。



高梁市松原町のやまびこ市場から見る中国山地。山また山。



さて、この立派な家は映画のロケに使われた。何の映画かわかる人はかなりの映画通・・・・。



9世紀初め頃から銅が産出され、江戸時代は吹屋銅山として幕府直轄地として栄え、幕末から明治にかけては、銅鉱とともにベンガラ(酸化第二鉄)の日本唯一の巨大産地として繁栄を極めた吹屋。ここは最初相方から却下されていたが、(湯郷温泉の方へ行きたかったらしい)ぜーーーーったい行きたいと強硬に主張して実現した。

ベンガラの製造過程がわかる施設、吹屋ベンガラ村。



ベンガラと一口に言ってもいろんな種類があるらしく、ここでは赤い色相が良好で、彩度の高いローハベンガラ(緑礬)の産出が際立っていたという。



古代には、伊吹山から濃尾平野にかけてのあたりが一大生産地だったらしい。こうやって繰り返し水に漬けながら不純物を取り除いていくという。



何が苦手って化学式がいっとう苦手、理解不能のパーチクリンだったので、この表に書かれていることがよく飲み込めないが、日本人ってすごいってことだけはなんとか・・・。



伊福、伊吹、それにこの吹屋・・・・鉄にまつわる地名だ。鉄の径・・・・どきどきするなあ・・・。


標高550メートルの山間に忽然と姿を現す吹屋集落。石州瓦と、



ベンガラの格子が美しい、よくぞまあ残っていてくれた、奇跡のような集落だ。



旧片山家住宅。ベンガラで財をなした商家跡。



国の重要文化財。奥行きが広い。



多くの観光客で賑わっていたが、一人だときっとタイムスリップしたような錯覚に陥りそう。



ベンガラで染めた衣服。



にゃんずに買っていこうかと随分なやんだ精巧なへびのおもちゃ。(結局かわなんだ)



それにしても石州瓦の美しいこと。財をなした人々はその財を持って石州宮大工を呼び寄せ、石州瓦を葺いて豪邸をつくった。当時の賑わいぶりはどんなだっただろう。



最期に急いで、去年の3月まで現役だった小学校跡を見に行く。



中に入りたかったが、長蛇の列だったので断念。やっぱりゴールデンウィークは恐ろしい。



最初のお城のような石垣をもつおうちは、ベンガラで財をなした広兼邸。ここは八墓村のロケに使われた。多治見一族が住むおうちね。
もう一軒いまだ人が住む西江邸(ここに行くのは却下された)は、18代当主が途絶えていたベンガラ産業を復興させたそうだ。



鉄の径は険しい山中にちらばっている。



そのことを痛感した、中国山地の道だった。
新見のJAで買った、千屋牛に魅せられた食いしん坊デブ夫くん。『千屋牛をまた食べたい〜』いいよ〜、またいつか行こう!中国山地鉄の径。