球磨川極上温泉はどこだ~〜その①

南に行けば雨は降らない。天気予報とにらめっこして旅はここから。
種田山頭火が愛した日奈久温泉。町のあちこちに山頭火の句が掲げられている。



妻子を捨て、世間を捨て、行乞の人生を送り、自然に溶け込んで山野を放浪し、たくさんの句を詠み捨てた彼は、日奈久の旅館織屋に3泊し、
『温泉は良い、本当に良い、ここは山も良し海も良し、できることなら滞在したいのだが、いや一生働きたくないのだが。。。』と称賛したという。

極上温泉を探して、球磨川を遡上する旅。手始めに日奈久温泉。もう寂れきっている温泉街だが好きなのよ。
最初にはいったお風呂から見た日奈久の町。手前の道路は旧薩摩街道だ。



下の建物が気になって降りてみると、たこまん(多幸満)とある。昔は旅館だったのかしらん。



寿司を置いてない寿司屋で戴いた海鮮ちゃんぽん。   



いやあ、魚の深い出汁がよくでていて絶品!汁も残さず完食。

日奈久温泉入り口にある古いちくわ屋。



これはちくわを焼く器械かな。
ここのちくわとちぎり天が美味しいのよ。旅のお供にちぎり天を求めて、



さあ、腹ごしらえもしたことだし、日奈久から球磨川沿いの村、坂本まで山道を辿る。
途中『百済来』という珍しい、気になる地名を発見して寄り道。
川がきれい。百済来川とある。ここらあたりはまるで日本の原風景のような美しい農村の佇まいがそのまま残っている。



帰って由来を調べると、聖徳太子の時代の百済の高僧、日羅の墓があるそうだ。
ここらへんを治めていた芦北の国造、ありしとは任那府の王もかねていたそうで、大阪で暗殺された日羅の亡骸と妻子共々天皇の命で、この地に移したとある。

ひょんなところにものすごい歴史が眠っている。。。。風景を取り損ねたので、ここはまた来よう。


古いJAの建物。もとは小学校っぽい。



やっと球磨川にでた。


先日の大雨で川の色が濁った緑色。


流れも早い。。。



高速が開通する前は、この球磨川沿いの径をぼちぼち遡上して、人吉に出、人吉からはループ橋ををぐるぐる回って山を越え、えびのへとでていた。鉄道も球磨川沿い。川を右に左に見ながらの鈍行線。遠かったなあ。
さて、極上の温泉は、この球磨川中流域にあるという。径はまだ遠いぞ・・・つづく。