平戸ぶらぶら旅

平戸の海は碧かった。


南の東シナ海に続く、碧い碧い海。


平戸の港は、長崎の出島に先駆け早くから西洋に向けて開かれていた。


1977年に橋がかかり、車で島に渡ることができる。



ちょっと前、HNKのBS時代劇で「妻はくノ一」というのをやっていた。おもしろかった。

幕末の平戸藩に幕府の密偵としてはいったくの一(今売り出し中の滝本美織)と平戸藩の御船方(市川染五郎)の恋物語を縦軸。横軸に当時の平戸藩が、押し寄せる西洋からの驚異をいち早く察知し、幕府への不信感を募らせていく時代背景。
開明的な平戸藩前藩主、松浦静山(だあいすきな田中泯)の胆の座った人となりが斬新な味をだしていて、毎回ビデオに取って見はまった。



松浦静山、知らなかったなあ。。。凄腕の剣客でもあり、甲子夜話という随筆集をだし、文学者としても秀でた、なかなか胆の座った人だったようだ。

白髪のおじいさんが松浦静山



静山が亡くなって、9年後くらいに吉田松陰が平戸を訪れている。ここでの滞在期間中に、迫り来る外国からいかにして日本を護るかという観点を確立したといわれるから、平戸は常に外に開かれた視点を持ち続ける位置にあったのだと思う。静山の子孫のうち、徹底的な尊皇攘夷者をだし、孫娘は明治天皇の母となった。


松浦家居宅跡が史料館になっていて、静山のコレクションを見ることができる。
もう地球儀持ってたんだ。



どこか西洋の匂いがする屏風絵



そして忘れてならないのが隠れキリシタンの迫害と処刑の哀しい歴史。
フランシスコ・ザビエルが1550年に平戸に布教にやってきたとき、藩主共々入信したが、その後の秀吉の布教禁止令がでると徹底的な弾圧に転じた。



イタリア人宣教師、コンスタンツォ神父が火あぶりの刑に処せられた地。海を挟んで真向かいに平戸城がある。



教会は1つだけ見ることができた。田平天主堂



明治以降に、長崎の外海地区や佐世保の黒島から移住してきた信徒達が開墾した土地に建てられた美しい教会。



あらゆる窓にステンドグラスがはめ込まれ、中はさぞや荘厳な雰囲気だと思う。


私はキリスト教信者ではないので、中にはいるのをためらう気持ちがどっかにある。教会はやはり敬虔な信者達のものだ。

  

みることができて狂喜したのが、この刀。



七郎神社という平戸でも古い神社にご神体として伝わっていた、仲哀天皇の弟十城別王の家来、七郎氏広の環刀。神功皇后新羅征討の帰り、弟十城別王とともに、警護のため平戸に留め置かれたという。この刀は代々平戸藩主が大切に護ってきたそうだ。国宝ものだと思う。
平戸という地名は比較的新しい名前で、古くは志式島もしくは志々岐島と呼ばれていたことも知って、やっぱ古代史が面白いわあ。