消えた共同湯

大分道が開通する前、久住山に登るには、久大本線を使って豊後森まで行き、そこからバスで飯田高原までえっちらおっちら登らなくてはいけなかった。今はもう車であっという間だが、昔は、山に登るというと、公共機関を乗り継いで相当のアプローチが必要だった。だからというわけではないが、山登りというと世界の果てというか異界へと旅立つような気分があったように思う。山男という言葉には、一種独特のアウトローの匂いがしたものだ。
今は山ガールなんていわれてこじゃれになり(何でもガールをつけるなよ)、饐えた汗が染みついたあの布でできたリュックの匂いは記憶の彼方にあるのみだ。


久大本線野矢駅。この付近に鄙びた共同湯があると聞いてやってきたが、、、



ここから水分峠の下を通る長いトンネルを抜けると湯布院盆地にでる。


山に囲まれた線路に、



無人駅。特急も通る路線だが、限界集落なんだろう、物音1つ、車一台通らない。



家がぽつんぽつん・・・・小学校があるはずだが・・・・
「看板立ってるわけではないんで心して探せよ〜」
もしかしてこれ?!という建物を発見したが休業中の札がかかっていた。たぶんもう廃業したんだと思う。永久休業・・・また1つひっそりと村の共同湯が消えた。


共同湯の裏手の川。分水してあるが何かに使っていた跡みたいだ。


ここは村の社交場だったのだろう、洗濯したり、野菜を洗ったりそんな場所だったのかもしれない。

もう1つ共同湯に入りたいというので、気を取り直して210号線を西へ下る。天ヶ瀬温泉の山手を登ったところにある塚田温泉。うすいモール泉で優しいお湯の私の好きな共同湯だ。


ここもある意味限界集落に近いと思うのだが、夕刻迫る時刻になると、じじばばが車でどっと押し寄せるまだまだ元気な共同湯。一種の社交場で、じじばばのわいわい元気な声に包まれ賑やかだ。こういう共同湯、現役で続いていって欲しい。


「薪で焚くお風呂だ!」「いや、炭焼き小屋だ!」と論争になった蔵。


こういう蔵もまた消えつつあるものかもしれない。