弥五郎どん

鹿児島ではおはら祭りがあっていたが、手ぬぐいだけ貰って曽於市へ向かう。
実は去年の同じ日に霧島のお湯に浸かり、そこで一緒になったおばちゃんから、弥五郎どん祭りなるものを聞いていたので、そぼ降る雨の中祭りの開催を危ぶみながら向かった。
インターの名前も曽於弥五郎。弥五郎どんって一体???街にはいると、丘の上にこ〜んな巨人像や



こ〜んな街灯・・・・。



そして岩川八幡宮におわします弥五郎どん。



午前1時に『弥五郎どんがおきっど〜』の掛け声の下に、竹を編んで胴体を組み立て、梅で染めた着物を着せ、門外不出のお面をのっけて朝7時頃完成。神事や巫女舞を済ませたあと、御旅所へと浜下りとなる。神社の階段をゆらゆらと下り、



鳥居の前で仁王立ち。



先導するのは子供達。秋田のなまはげと同じく、ここらへんの子供は、悪いことをしたり言うこと聞かないと、『弥五郎どんがくっど〜(くるぞ)』と脅されながら育つそうだ。



太鼓と鉦のお囃子はどこか南の国の風情がする。



途中、高架下を


イナバウアーで見事にくぐり抜け、多くの見物客は拍手喝采、一番の見所。


弥五郎どんは、朝廷に逆らった隼人の酋長説、竹内宿根説と諸説あるようだが、


ここだけでなく、都城や日置、島原にも弥五郎どんがいる。



こちらのお面は、日本人の顔とは明らかに違う、昔絵本で見たアラジンのランプの精のような・・・・。


一番気になったのが頭の飾り。鶴?かなと思ったがキジだ。



桃太郎伝説で桃太郎のお供をするのは、犬、猿、雉。
隼人は海幸彦が祖と言われ、山幸彦(天皇家)の私的な家来とされ天皇の警備職にあたり、吠声(犬の鳴き声)で鎮魂の儀式を行った。隼人舞は犬の舞ともいわれる。(海幸彦が海でおぼれる様子をあらわしているんだって)
猿は、猿大海、猿田彦。ともに天照族の道案内役として描かれる。古代の銅の産地、香春岳近辺では猿を大事にしろという言い伝えが残っていて、銅の探索・採掘に当たる人々を猿と呼んでいた節がある。
和気神社にも、追放された和気清麻呂を助けたのは、猪といわれ、狛犬の代わりに猪像が並ぶ。猪が人を助けるはずもなく、山人を猪と形容したのだと思う。まつろわぬものを土蜘蛛と呼び、恭順をしめしたものにも獣扱い。権力者の情け容赦ない奢り。
竹内宿根も明治にお札になるなど復権を果たしたようだが、黒男として抹殺され続けた。宇佐神宮の一番外れに黒男神社、福岡にも小さな黒男神社群があるが、その名の通り存在そのものを黒く塗りつぶされ忌避されてきた。で、キジなのかい・・・・・。


丘の上の巨人像は半端なく大きく、


巨人(巨神)化することによって、都から追い落とされ殺された隼人達の魂を慰めたのかもしれない。
私はただただ子供の頃に見た『大魔神』を思い起こして(トラウマになるくらい怖かった、悪いことはできねぇと幼心に誓ったものだ)、畏怖の念からこれ以上近づけず・・・・・。いやなんか今にも動き出しそうで。