はっとしてダーっ!!

あっという間に立冬が過ぎた。お山の秋の風景。


松ぼっくりとかどんぐりとか見つけると、自動的にだーっと駆け寄って、ひゃあ〜とかいいながら拾い集めて、そしてそれを誰かに投げつけたくなるという、困った癖。子どもの頃よく兄弟でやったし、子どもが小さいときにも、ぽいぽい投げ合って楽しんだものだ。



赤い、ルビーのような実。こういうのにも弱いのよね。ついなでなで、いじいじ。




ある短期大の講師をしていた方がおしゃっていたが、「ちょっと机を後ろに片付けてくれる?」と頼むと、学生達が「ええっ?!〜!やだ〜!」でもしないのかと言えばそうではなく、ちゃんとやってくれる。あの「ええっ?!〜!やだ〜!」って何だろう?してくれるんならはじめから、「いいですよ〜」と言ってくれれば双方気持ちがいいのに。とこぼしていたが、言ってた本人も、「ええっ?!〜!やだ〜!」って結構連発される(笑)。


はっとしてダーっ。こういうのはまだ可愛いが、短絡的な言動で今までどんだけ失敗してきたことか・・・。これって心の癖?



5,6才の頃、母親に連れられて、真言宗のお講に連れて行かれたことがある。高い燭台に蝋燭の火が灯された和室でお坊さんの話を聞くのだが、あれが強烈に記憶に残っている。



「朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれり」という言葉のように、人生突然に思いもかけないことが起こる。そのときこそ自分が試されるみたいなことを話していたかと思うが、難しい用語はスルー、幼い私は、『何事か起きたときに「そのときが来た」と思え』というふうに受け取った。
すぐに「そのとき」はやって来た。外人墓地で一人遊んでたときに高い塀から落っこちたのである。いつか罰が当たるといつも母親から口やかましく言われていたのだが、ばちがあたった。胸を強打し息もできない苦しさ、痛さ。そのとき頭に浮かんだのがまさに「そのときがきた!」
しばらくじっとして、息ができる、そろそろ起き上がってああ立てる、歩ける、大丈夫だ・・・一人で起き上がって家に帰った。母親に告白したのは2,3日後。こっぴどく黙っていたのを叱られたが、子ども心にあわてないで良かったと思った。

それ以来、思いもかけないことが起きたときに、「そのときが来た」と思うようにしている。たいがい判断を間違わない、腹が据わるような気がするのだ。けれど、これが思いつかないとき・・・・(ちょっとしたやりとりの時が多いのだが)・・・たいがい良い結果を生まない。それだけ癖として染みついているんだろうなあ。



相方「ちょっと相談があるんだけど」
私 「ええっ、やだ〜」
私 「え〜?!なに〜?うっわあ、めんどくさ!!」


結果やるのにね。「はい!喜んで!」って口が裂けてもいえないにしても、「うん、いいよ!」ってなんで言えないかなあ。