謎の筑紫舞

能や舞楽の原型ともいわれ、続日本紀にもその存在が記録される、古から伝承されてきた筑紫舞。九州王朝の宮廷舞踊だったと伝えられる。
江戸時代までは九州のあちこちの神社で舞われていたようであるが、明治あたりで絶えかかった。筑紫傀儡師により古墳の棺の前で、細々と舞われていたらしい。この間の事情は継承者による本もでたが、なんとも不思議な話でわくわくする。
さてさて謎の多い筑紫舞、あるいは福岡市の小さな神社で、わずかな神官たちにより脈々と踊り継がれてきた。神社の神官による伝承と、筑紫傀儡師による伝承と2つの流れがあり、これもまた謎を呼ぶ理由のように思われる。


宮地嶽神社のHPを見ると、『1600年前、その山は九州北部王朝の聖域だった。17の国宝、数百の至宝が眠る日本最大級の横穴式古墳・・・・九州で勢力を蓄えていた九州王朝!この北部九州は大陸から多くの文化を吸収し、九州独自に文化が発展していったと思われる。』と高らかな調子で書かれている。
拝殿の前で舞われるのだが、まだそれも24,5回、復活のその間の事情もよくわからない。


大きなしめ縄の拝殿の前に作られた舞台で、奏された神楽は5つ。

筑紫神舞 『千代の友』神舞(かんまい)は、棺舞か。千代の友は、古い言い方で菊をさす。若い権禰宜達によって舞われる





筑紫巫女舞(きねまい)、橘。衣装の色が鮮やかで、こんな色使いは独特だ。



筑紫神前(かんめえ) 笹の露=神々の斎=(酒の徳を讃えた踊りだそう)




足さばきがすごく特徴的で、片足で回転したり、飛び上がったり、コサックダンスのような動きもあり、能のような、歌舞伎のような、あるいは山伏の僧の動きもあり、でも能とは違う、不思議な踊りだ。



この初老の権禰宜の方の舞に釘付けだった。所作の美しさ、確実さ、身体の線の見せ方などかなりの舞手のように思う。どれだけ鍛錬を積んできたのか、同じ所作をしても他の舞手達からくっきりと浮き立つ。


筑紫宮舞 扇の曲



筑紫巫女舞 榊葉



そして最後、宮司自らが舞い、禰宜雅楽を演奏しての、筑紫宮神楽 神無月の舞。この方は宮司になるまで春日大社禰宜をしており、そのときに徹底的に舞を鍛錬されたそうだ。





古今和歌集の和歌に依って舞われる。幾つかの歌があったが、その名から1つ。
『昨日といひ 今日と暮らしてあすか川 流れて早き月日なりけり』
舞が奉納されている間、ご神体とされる山の梢が折からの風でざわざわ揺れる。まるで喜んでいるようだねとお義姉さん。


古墳の埋葬者はいまだよくわかっていない。神社の方もぼかす。でもここの神様は芸事好きで、お酒好き。居合い術の団体の奉納をされているところを見たことがあるし、ロックフェステバルが開催されてるのを見たこともある。そして今日は、夏の大祭の時に大汗かいて冷やしそうめんを振る舞ってくれた若い権禰宜の方達が舞を舞い、楽器を奏するなど走り回って大活躍。ここにはなにか親しみやすさ、手作り感いっぱいの心地よさがある。


2月28日には、また古墳が開けられて、ぜんざいが振る舞われるという。行かなくっちゃ!!