安心院の不思議つづき

安心院盆地は今は田んぼが広がる田園地帯だが、古代では低湿地帯で葦原が広がる風景だったという。
その真ん中へんにある妻垣神社、別名足一騰宮(あしひとつあがりのみや)。



不思議な名前だ。神社の由緒書きによると神武天皇が東征する途中ここに立ち寄り、兎佐津彦、兎佐津姫の兄妹が歓待したという。
神社と相対して三角形の山、共鑰山(ともがき)がそそり立ち、この山中に苔むした磐座があるというが、登山の準備も格好もしておらず、おまけに熱中症がでるかも〜という暑さだったので登るのは遠慮した。



境内でお参りしようとしたら、人形(ひとがた)が置いてある。いやあ珍しい。悪いところに印をして箱に入れると、夏越祭で一緒に祈願してもらえるという。



う〜ん、これ以上ぼけやスカがひどくならないよう、頭か・・・それとも全体的に細く線を引っ張ってダイエット祈願、いやいや心がいつまでも若々しくあるように胸にハートを書くべきか・・・・

さんざん迷ったが自分の図々しさが恥ずかしくなり(初めてきたのにね)、この美しい土地がいつまでも悠久に残りますようにとお願いして、手に取った人形を元に置いた。

さて足一騰というのは、古事記に足一騰星として名があるそうだ。北斗七星のことをいう。片足をたてて座る姿からその名がつけられたと。ここでも星。


宇佐神宮は全国4万あまりの八幡宮の総本山であり、伊勢神宮に次ぐ第2の宗廟だが、昔から奇異に思っていことがある。弓削の道鏡事件で和気清麻呂がまっすぐ宇佐神宮のご神託を求めたその不思議。伊勢ではなくなぜ宇佐?
その後も天皇家は何事かあるごとに託宣を宇佐に求めた。時には外れて?罰を受けることもあったという。第二次世界大戦前夜も宇佐に託宣を求めたとか。そのことは一連の磐座、環状柱石と無関係ではないようだ。

八幡とは星占だという。この一文が理解できずにいたが、実際に安心院を巡るとそうかもしれないとじわじわ・・・まあ素人がいくら考えてもその謎は謎のまんまなんだけどね。



3月に行った中津市の薦神社。宇佐神宮の祖宮といわれる。


ここは丘陵に人工的に作られた池がご神体となる。


川が流れ込んでおらずため池でもない。古代、渡来人が叡智を集めて作らせたという。地下の水脈を探し当てるすべを知っていたのだろうか?


去年秋、宇佐神宮を訪れたとき、菱形池に浮かぶ能楽殿で宇佐神楽の共演大会が催されていた。近隣の神楽社が集まって一日かけて舞いを披露する。


そのなかの1つ「内綱」


わけのわからない言葉を話す神様を綱で遮ったり、ぐるぐる巻きにしたり。


甲高い声でおもしろおかしく演じられるので、観客が時々どっと笑う。


「神さまは神さま語を話すので、私たちにはなかなか真意が伝わらないんですよ。」
渡来人はその民族の言葉を話すので、土地に溶け込むのは時間がかかるんですよ・・・そういう意味かもとぼんやり考える。


宇佐は不思議な土地だ。まるで幾多の民族の十字路、モザイクのようにいろんな文化が解け合ったりせめぎあったり、そんな感じがしてならない。いろいろ考えてたら頭が爆発しそう。



院内町に戻り、明治初期に作られた古い石橋、久地橋で、ヒートアップした頭を冷やす。


下から見ると結構な高さ。しばらくここでぼうっ。


そして汗臭い身体は、以前から目をつけていた上恵良温泉へ。


三層に分かれていて、ちょうどよい→ぬるい→超ぬるいというか水?


の私の好きな段階ぬる湯でクールダウン。
やっぱ独りでうろうろするのは楽しい!