阿波踊り考

もう4年続けて盆休みを阿波踊り三昧している。私を可愛がってくれてた徳島のおじのお見舞いに相方と一緒に行ったのがそもそものきっかけだが、そこで初めて阿波踊りを見た相方がもう本当に取り憑かれてしまった。今も撮ってきたビデオの編集に余念がない。夜中時折、ブラボ〜!とか叫びながら拍手している(不気味だってば)。

阿波踊りの魅力ってなんだろうと考えてみる。
阿波踊りはもともとなくなった人の魂を慰めるための盆踊りがその起源の1つと言われるが、諸説あってよくわかっていない。
なんで阿波踊り?と問われると、踊りの躍動感、素人なのに踊りはプロ、艶やかさ、といろいろあるんだろうけど、どうしても私は、〔魂振り〕と言う言葉が浮かんでくる。



一般的に魂振りとは、神社用語で、御輿を上下左右に揺らして、乗っているご神体の霊位を高め、豊作や豊漁など祈願するもので、元気のない霊魂を揺さぶることで魂の活力を取り戻すことをさすらしい。御輿を揺らしたり、ぶつけたり、担いで走ったりするのは、すべてこれに起因する。

日本人の原初的なリズムは、心臓の鼓動と同じ2拍子だ。笛・太鼓・三味線・・そして唄やかけ声・・・2拍子のリズムにのせて、踊りの基本は単純だ(手をあげて足を運べば阿波踊り)。けれど、衣装の文様、囃子の調子、指の使い方、足の運び、フォーメーション、どれ1つ取っても、それぞれの〔連〕の長年の伝統と工夫と情熱が詰まっていて、そばで見ているだけでも、魂が振られ、血がわきあがってくる。



桟敷での見せる踊りの他に、輪踊り(街角の至る所で輪になって踊る)、一丁踊り(自分らの近所を踊りながら練り歩く)など、振る人と振られる人の境というか敷居がないのも阿波踊りの大きな特徴なのかもしれない。見るだけでなく手拍子で参加するだけでも、踊り子は元気になり、魂振りは相乗効果でいよいよ増すのだ。


踊る集団のことを〔連〕というが、なかには小さい子供も大人に負けないくらい踊り上手で、見る人がみんな知らず知らずのうちに笑顔になってしまうのも大きな魅力の1つ。戦後日本人が手放してしまった共同体のつながりが、連のなかでは見事に息づいている感じがする。


戦後豊かになって、便利になって、共同体の煩わしさを捨てた私たちだが、もしかしたらその中にある喜びや安堵といったものも捨ててしまったのかもしれない。人と人とは繋がっていなければ生きていけない、と思う。今、新しい繋がりのカタチを模索している時代のように思うが、どうなるんだろう。

とにもかくにも、魂を揺り動かされ、いっぱい元気をもらって、またいつもの暑い忙しい日常にもどったのだが、もう来年のための傾向と対策を練っている私たちは、立派な阿呆なのかもしれない。