旗揚げ神事

7月15日、佐賀県三養基郡中原町に鎮座する綾部神社の旗揚げ神事を見にいった。


背振山系の裾野、風の通り道となる高台にあり、境内には大きなイチョウの木が数本。このイチョウの大木が今日の主役だ。樹齢600年、高さ25メートルはゆうにある。



綾部八幡神社といわれるように、ご祭神は、応神天皇神功皇后住吉大神、武内宿根と続くが、原初神は風の神様、級津彦(しなつひこ)といわれる。


神社の縁起書きを見ると、聖徳太子実弟来目王子が新羅征討のため下向し、忍海漢人(おしぬみのあやひと)をして、武器の製造にあたらせたところとされ、そこから漢部→綾部の名が起こったと書かれている。
もともとこのあたりには製鉄の遺跡もあって、武器製造が行われていた地でもあった。その製鉄に欠かせない鞴(フイゴ、送風機のこと)と風神とは切っても切れない深い関係があった。
炎天下の2時過ぎなのに、境内は下から冷やっこい風が吹き上げ、木陰にいると汗がひいてしまうほど風が通る。やっぱりここは風の通り道。風神のすまう処。


小さな川の流れに作られた禊ぎ所



ここで3人の若者が素っ裸になって禊ぎをする。


その前に神社では子ども御輿が神社の急坂を登ってきた。



真夏の午後、打ち水を盛んにかけられ、最後の急な石段を登り切る。



びしょ濡れだけど、男の子も女の子もいい顔してる。


さて本日のメインイベント、旗揚げ。先ほどの場所で禊ぎを済ませた、3人の若者、ふんどし姿でイチョウの大木に次々と登っていく。はしごやロープ等一切使わずに、四肢の力だけで、するすると木を登っていく若者達、高いところはビルの4,5階分に相当する高さだ。



そして境内に置かれていた、長い竹、



この長い竹の先に、氏子達が旗をきつくしばってゆく。



3人の若者が待つイチョウの大木に添わせて、総出で竹を立ち上げる。



高いところ、中間、低いところに待ち受ける若者達が、それぞれ縄で竹をひきあげ、




イチョウの木に竹をせりあげ、縄でくくりつけていく。



イチョウの木のてっぺんのその先ではためく旗。昼間の月が見ている・・・。



9月24日の旗降ろしまでの72日間、神職は豊作や人々の幸せを祈願し、朝と夕に揚げた旗を見て、気象観測を行うという。その気象観測だが、神職の長年の経験から、雨が降るとき、豊作になるときなど、旗が風をはらんで巻く具合をみているだけでおおかたの予測がつくという。また代々の神職は天候観測した結果日誌につけており、過去から現在までの膨大な記録をもとに、5日後の7月20日には、その年の天候の長期予報を出すのだそうだ。


じつはこの旗をつけた竹竿、筑後川沿いのいくつかの神社にもある。ずっとこれが何なのか、何のためにたてられているのか疑問だったのだが、やっと長年の疑問が解決した。

旗降ろしを終え降りてきた若者の充足した顔。まだ降りてこない高いところに登っている仲間を笑顔で待つ。


うちの近所の神社ではおそらく若者を確保できなくてクレーンを使って、旗揚げをやっているようだ。


こうやって次代を担う若者・子ども達が祭りをになってゆくことができるということは奇跡のように思う。神社の祭りは故郷そのもの、その土地のアイデンテティーそのものに思えるのだがどうだろう。


老いも若きも、交通整理をしていた初老のおまわりさんでさえ、この祭りに確かな誇りを抱いている。にこにこして、
『写真いっぱい撮っていきんさい。』
はい、写真いっぱい撮りました、ついでに有名な綾部のぼたもちも買って帰りま〜す。