大川昇開橋

機械遺産に登録されている。



昭和62年まで国鉄佐賀線が通っていた。
有明海は干満の差が激しく、水面が一定でないため掘削工事は困難を極めたという。
修復工事を終え、歩いて渡ることができるというので、ぼつぼつ渡る。



福岡県側の駅跡。ほんとだ電車が通っている写真がある。



上流側。真ん中マンションが建っているのはは中之島佐賀県になる。このあたりは古くは鹿江と呼ばれていたそうだ。



佐賀県早津江の港。その昔、徐福が上陸したという伝説が残る。



佐賀市は、徐福が出航したという中国のどっかの都市と姉妹都市の関係にあり、中国から送られた徐福像がたもとに建っている。




立山の方を向いてるそうだ。金立で探し求めていた薬草を見つけたと言うが、童男童女3千人、様々な穀物、そして技術をもった工人と一緒に渡ってきたと言うから、もう移住するつもりでこのクニに来たのだろう。帰ることはなかった。吉野ヶ里からでた人骨には当時の中国人の人骨の特徴を残していることから、混じり合って溶け込んでいったものと思われる。


佐賀県側の駅跡。


何故か南京錠がいっぱい。恋愛成就の願掛けだそうだ。う〜ん、よくわからん。


下流側。真ん中に中州の島、大野島があり、北半分は福岡県。南は佐賀県。領有をめぐって昔から争いが絶えなかったらしい。




遠くにうっすらと雲仙岳が見える。それにしても鏡江といわれるように、水面が滑らかで、まるで一枚の絵の中にいるよう・・・・。



佐賀県側から戻ってきてると、ちょうど橋桁があがっている状態。この間を船が通っていくことになる。



四角い鉄板がおもりとなりこれを上げて、橋桁を下ろす仕組みになっている。



おもりがぐ〜んとあがって、



橋が降りてきた〜。



待っている間、橋の昇降の管理人のおじちゃんから、『橋を降りて2〜3分のところに美味しい饅頭屋があるから、せっかくだから寄って行き。わざわざ佐賀県側から歩いて、饅頭を買いに行く人がいるくらい、そりゃあ美味しいって評判の店だよ。串にささっているやつがね、一番おいしかよ。』
そう言われれば行かないわけにいかんでしょ。
一緒に佐賀県側から渡ってきたじっちゃん、ばっちゃんも一緒に饅頭屋へ。近くにいながら橋を渡るのは初めてなんだと。酒蒸し饅頭、串団子、桜餅、おはぎ・・・・いろいろあって迷う、迷う。



ここの串にささったかりんとう饅頭が絶品だった。包み紙をみると、全国菓子大会で名誉大賞をとったと書いてある。
店の横に飾ってあった、屋根の恵比寿さんの飾り。



鉄道がとおっていたきはもっと賑やかで、お店も大きかったのかもしれない。この屋根飾りは昔の家の屋根の先で、時代が移り変わるのを見てきたのかもしれない。そんなことを考えた。