謎のサルタヒコ〜名古屋紀行②〜
名古屋紀行第2弾、さてどこから書こうとぐだぐだ悩んでいたら結構な日がたってしまった。
抜け出して、高山本線にのるか、知多半島に行くか、駅に着くまで迷いに迷って結局行った、鈴鹿市にある椿大神社(つばきおおかみやしろ)。猿田彦を祀る神社の総本社とされる。
三重市バスに乗って、バスが1台ようよう通る道を山へと向かう。2時間に1本。人があまり行かない神社かと思いきや、さすが伊勢一宮、ちょうど七五三の家族連れで大賑わい。
アマテラスと猿田彦とタクハチチヂヒメ、ニニギを祀るという。
伊勢の阿邪呵で比羅夫貝に手を挟まれて溺れ死んだという。(これはどんな因縁話なのやら・・・)
葺き替えたばかりの銅の屋根がまぶしいが、拝殿は見えても本殿がどう背伸びしても見えない。
本殿の神紋を見たかったのにな・・・。
長崎から久留米に来て驚いたり不思議に思ったりしたことはいろいろあるけれど、そのなかでも一番不思議に思ったのが、猿田彦の岩。
神社の中には必ずといってある。鳥居の前にあることもある。猿田彦を主祭神とする小さな神社もあちらこちら。筑後川流域では集落の入り口、出口にこの岩があるところをよく見かける。都会と思っていた福岡が、実はとても古いものをたくさん残している不思議なところという認識が生まれるきっかけとなった。まあ卑弥呼のクニだからねぇ・・・。玉名から山鹿にかけてコアな神社巡りをしたときは、見ざる聞かざる言わざるとセットで祀られていた。
何を言っちゃいけないのか、見て見ぬふりをしないといけないのか・・・・。
天孫降臨の折、ニニギを先導して案内をしたところから、道祖神または賽の神として祀られたと言う。山鹿の大宮神社では、おそらくは道路が拡張するために、取り除かれ行き場のなくなった猿田彦の夥しい大岩が本殿の裏に50基近く鎮座する。
猿田彦にはもう1つの顔がある。田の神さまだ。サルタヒコのサルは言語学的に言うと、米を意味するらしい。鹿児島県の薩摩半島、日置市のお田植え祭ではサルタヒコが登場する。タノカンサア(田の神さま)の祭りを一度見に行こうと思っているのだがまだ実現していない。大分の中津市には四公神社、祭神は猿田彦。四公六民を実現させたありがたい為政者と言うことで四公さまと呼ばれたという。
椿大神社では土公さまになってたな。
謎だらけの猿田彦。
経営の神さまと言われた松下幸之助が、いたくこの椿大神社の神さまを気に入り、茶室をたて、境内に神さまとして祀られていたが、いったいこの神さまのどこに感激してそこまで入れ込んだのか、そこまでパンフレットには書かれてなかった。
でもきっと人気があったんだろうなあ。あの扉のような大岩を見るたびそう思う。